元関脇・水戸泉として知られた錦戸親方。豪快な塩撒きと力強い相撲で一世を風靡した彼は、現在、腎不全による人工透析を受けながらも、相撲部屋の親方として活動を続けています。
本記事では、透析治療を続ける私自身の視点から、錦戸親方のこれまでの相撲人生と闘病の現実、そしてその中にある前向きな生き方について掘り下げていきます。
力士としての偉業はもちろん、病気と向き合うその姿勢にこそ、学ぶべき価値がある——そう感じたからです。この記事を通じて、透析治療を続ける多くの方々にも、少しでも希望や励ましが届くことを願ってやみません。
錦戸親方が人工透析に至った背景とは
相撲取り時代の過酷な体重管理
錦戸親方(元・水戸泉)といえば、土俵上で豪快に塩を撒く姿が印象的でした。その姿の裏には、相撲取りとして日々体重を増やし、必要に応じて減量するという過酷な体調管理があったことを、透析患者の一人として改めて感じます。
相撲という競技は、体格が武器であり、日常的に大量の食事をとる必要があります。当然、塩分や水分の摂取量も多くなり、腎臓にかかる負担は非常に大きくなります。加えて、減量期と増量期を繰り返すことで、腎機能は徐々に蝕まれていったのではないでしょうか。
相撲取り時代の過酷な減量と増量を繰り返した影響で腎臓に負担がかかり、糖尿病性腎症を発症。現役時代から糖尿病を患っており、引退後も症状が進行しました。その結果、腎臓の機能が限界に達し、人工透析が必要となる状態に至ったのです。
スポーツ選手が抱える身体的なリスクは、一般には見えにくいものです。しかし、錦戸親方の例は、身体を酷使し続けた末に訪れた健康への影響を如実に示しており、多くの人が健康管理の大切さを見直すきっかけにもなるのではないかと感じています。
糖尿病性腎症の進行と診断の経緯
糖尿病性腎症は、腎不全に至る主要な原因のひとつです。血糖値が高い状態が長く続くと、腎臓の細かい血管がダメージを受け、次第にろ過機能が失われていきます。最初のうちは症状も軽く、むくみや倦怠感が出る頃にはかなり進行しているケースも多く見られます。
錦戸親方の場合も、現役時代から糖尿病を患っていたことが知られており、激しいトレーニングと体重の変動が病状の進行に拍車をかけたのではないかと推測されます。特に引退後も症状が悪化し、最終的に人工透析が必要なほどに腎機能が低下してしまったようです。
私自身は大学の健康診断にて腎疾患の異常が確認され、その後、家族総出で食事療法を徹底してもらい、処方された薬も忘れずに服用してきました。28歳で透析導入を決断したわけですが、「30代まで持ち堪えられなかった」という無念さはありましたね。
腎疾患は進行してしまうと、もはや元に戻ることがありません。病気と共存していくためには、早期発見と適切な生活管理が不可欠です。錦戸親方の例は、こうした現実を改めて私たちに突きつけています。
末期腎不全と診断された時の心境
腎臓の機能が10%以下に落ち込むと、老廃物や余分な水分を体外に排出する機能が著しく低下し、日常生活にさまざまな支障が出てきます。この段階で「末期腎不全」と診断され、透析か腎移植の選択を迫られることになります。
28歳のとき、私もその決断をしました。それまでも数値は徐々に悪くなっていると分かっていましたが、「その日」が来ることをどこか遠く感じていたのが正直なところです。だからこそ、医師から「透析を始めましょう」と告げられた瞬間の胸の痛みと無念さは、今でもはっきり覚えています。
錦戸親方も、同じような思いをされたのではないかと感じます。糖尿病性腎症の進行によって腎機能が著しく低下し、透析が避けられない状況になったとき、きっとご自身のこれまでの生活を振り返る時間があったのではないでしょうか。
ただ、透析を始めるという決断は、単に治療を受けるということだけではなく、「これからの人生とどう向き合っていくか」を問われるタイミングでもあります。その意味で、透析は治療であると同時に、生き方の転換点でもあるのです。
公表のタイミングとその理由
錦戸親方が自身の人工透析を公表したのは、2016年放送のTBS系番組『爆報!THE フライデー』でした。当時、部屋の運営に関して「結婚後に稽古場に顔を出さなくなった」と一部週刊誌で批判されていた時期でもありました。
しかし、実際には体調の悪化が原因であり、稽古場に出向けない日が続いていたことを公にすることで、誤解を解こうとしたのです。自身の病気をあえてメディアで語ることは、大きな勇気を伴う行動です。特に、弟子や相撲界関係者との関係性を大切にしていた錦戸親方にとって、それは信頼回復のための重要な一歩だったのではないかと思います。
このように自らの病状を正直に語ることは、病気そのものに対する理解を深めることにもつながります。透析患者は見た目では分かりにくい病状を抱えているため、外からの理解を得ることが難しい場面も少なくありません。
錦戸親方の公表は、人工透析という治療がどういったものか、そしてどれほど日常生活に影響を及ぼすのかを社会に伝える機会になったと感じています。
現在の透析スケジュールと身体への影響
人工透析は、週に3回、1回あたり4時間以上を費やす治療です。その間はほぼ動けず、治療後も疲労感が残ることが多いため、1日のスケジュールに大きく影響を与えます。錦戸親方も、透析治療と相撲部屋の運営という二重の負担を抱えておられたことを思うと、その努力と根性には頭が下がる思いです。
私自身も、透析治療を中心に生活が回っているのが現実です。仕事のスケジュール、通院、食事、水分制限…すべてを透析と折り合いをつけながら生活しています。これまで当たり前だったことが制限される中で、どう自分らしく生きるかを模索する毎日です。
透析は「生きていくために必要な時間」であると同時に、「その時間をどう過ごすか」を考えることが大切です。つまり、自分自身のQOL(生活・人生の質)の向上を意識するということです。私は、透析中に読書やメモをとって次のブログ記事の構想を練ることが多いです。
錦戸親方も、そうした「透析時間の活用」について工夫されているのではないでしょうか。治療に身体を預けながらも、心は前を向いている。その姿勢は、同じ患者としてとても励まされます。
治療を続けながらの親方業と生活
稽古場に出られなかった本当の理由
錦戸親方が人工透析を公表する前、一部の週刊誌では「結婚してから稽古場に顔を出さなくなった」といった否定的な報道がなされていました。しかし実際には、末期腎不全に伴う体調不良が原因で稽古場に通うことができない時期が続いていたのです。
透析治療を受ける身として、その状況は他人事ではありません。私自身、透析を受けながら会社勤めを続けていますが、透析日やその前後はどうしても体調に波が出るため、すべてが思い通りにいくわけではありません。特に、血圧の変動や倦怠感が強い日には、出社するだけでもひと苦労です。
それに加えて、近年では「透析を導入するタイミングで転職を考えなければならない」という方も増えてきています。それまで問題なく働いてきたにも関わらず、透析を始めることで勤務時間の制限や通院スケジュールの都合が発生し、現職の継続が難しくなるケースもあるのです。
そのような状況は、まさに錦戸親方が「稽古場に出られなかった」状態と重なる部分があります。透析による制限がある中でも、周囲からは「なぜ来ないのか」「なぜできないのか」と見られてしまうことがあります。体調の問題は外から見えにくく、誤解や偏見を受けやすいのも事実です。
だからこそ、透析治療を始める、あるいは検討している段階で、職場や上司にきちんと「透析を行っていること」や「透析治療に関わる体調の変化がある可能性」などを説明しておくことが大切です。私も導入時には、直属の上司と人事担当者に時間をとってもらい、今後の治療スケジュールや勤務上の配慮について丁寧に話しました。
もちろん、すべてが理想通りに進むわけではありません。しかし、事前にしっかりと共有することで、理解を得やすくなり、無用な誤解やトラブルを防ぐことができます。錦戸親方のような公的な立場にある方でさえ、誤解を受けるのですから、一般企業に勤める私たちもなおさら丁寧なコミュニケーションが求められるのだと痛感しています。
透析は、ただ治療を受ければ済むものではなく、生活のあらゆる側面と連動する問題です。その意味で、職場の理解と協力体制を得ることは、QOL(生活・人生の質)の向上に直結します。そして何より、安心して治療を受ける環境をつくるために、自分から声を上げていく姿勢が必要なのです。
弟子たちとの関係と影響
透析治療を受けながら親方業を続けていく上で、最も心を砕いたのは弟子たちとの関係だったのではないかと感じます。相撲部屋は、師匠が弟子を指導しながら共に生活を送る、家族に近い存在です。その中で親方が体調不良のために稽古場に顔を出せないとなれば、弟子たちの精神的な支えにも大きな影響があったはずです。
私自身、仕事を続けながら透析治療を受けている中で、職場や周囲の人との関係性が大きく変化したことを感じています。こちらの体調が優れない日もあれば、いつも通り動ける日もあります。その波を周囲にどう理解してもらうかは、常に課題のひとつです。
おそらく錦戸親方も、弟子たちに迷惑をかけたくないという思いと、自分の身体が思うように動かないもどかしさの間で、葛藤を抱えていたのではないでしょうか。それでも、親方として弟子たちを想い続け、部屋の運営に心を砕いていたことは、周囲の証言からもうかがえます。
私も、透析があるからといって人との関わりを諦めたくはありません。だからこそ、治療と仕事、そして人間関係のバランスを保つために日々模索しています。錦戸親方のように、自分の役割を全うしようとする姿勢に強く共感しています。
週3回の透析スケジュールに沿った日常
透析患者にとって、スケジュールの中心は「透析日」であることが現実です。週に3回、決まった時間に病院へ通い、4時間以上の治療を受ける。その治療の前後には移動時間、準備、体調管理も含めると、1日をほぼ透析に費やすことになります。
私も、透析を始めた当初はこのリズムに慣れるまで時間がかかりました。月曜・水曜・金曜の午後が透析日と決まっているため、他の予定を組むときも必ずその日を外すようにしなければなりません。体調が安定している日でも、血圧の乱れや貧血があると予定が狂うこともあります。
錦戸親方も、きっと透析に合わせて生活全体を調整されていたと思います。特に相撲部屋の運営は早朝から始まり、食事や掃除、稽古の指導など分刻みのスケジュールで動いている世界です。そこに週3回の透析が入ってくると、どうしても負担が増しますし、弟子やスタッフへの分担も必要になってきます。
「思うように動けない日がある」という前提で日常を組み立てることは、決して簡単なことではありません。それでも、治療を最優先にしながら、自分の役割を果たすための工夫を積み重ねることで、前を向いて生きる道が開けてくるのだと思います。
食事や水分制限への取り組み
透析患者にとって、食事と水分の制限は毎日の基本です。特に塩分・カリウム・リンなどは厳しく管理する必要があり、腎臓の負担を少しでも減らすために「食べ方」を徹底することが求められます。
私の場合は、家族の支えもあり、若い頃から塩分を抑えた食生活を心がけてきました。しかし、透析導入後はさらに厳しくなり、水分摂取も1日500〜800mlに制限されています。特に夏場は喉が渇きますし、食事の内容もワンパターンになりがちで、メンタル面への影響も感じます。
錦戸親方も、同様の制限と向き合っていることでしょう。相撲部屋ではしっかり食事をとることが基本ですが、ご自身の分は別メニューにされていたのではないかと想像します。特に外食や会食が多い立場では、周囲に気を遣いながら自分の食事内容を調整する必要があります。
食事は単なる栄養補給ではなく、「生きる喜び」でもあります。それだけに制限が多くなるとストレスを感じることもありますが、私自身は「今の自分に合った楽しみ方」を模索しながら、食事を大切にするようにしています。
透析中に考えていたこと
透析中の4時間という時間は、ただ身体を機械に預けるだけではありません。実際は静かな時間の中で、自分自身と向き合う貴重な時間でもあります。私も透析中は音楽を聴いたり、ノートに考えごとをメモしたり、時には何もせずぼんやりと「これからの人生」について思いを巡らせることもあります。
錦戸親方も、治療中の時間をどのように過ごしていたのでしょうか。相撲界の将来や弟子たちのこと、自分の健康、部屋の運営…。いろいろなことが頭をよぎったのではないかと思います。
透析という時間を「苦しい時間」にしてしまうのではなく、「何かを生み出す時間」にできるかどうか。これが、透析と上手に付き合っていく上での一つのポイントです。
私は、透析という制限された時間の中でも、前向きな思考や小さな達成感を見つけることで、生活の質を少しずつ上げていけると信じています。
相撲界での実績とファンに与えた影響
最高位「関脇」としての誇り
錦戸親方こと元・水戸泉は、最高位「関脇」という地位にまで上り詰めた実力派の力士です。通算807勝766敗162休という長期にわたるキャリアに加え、幕内では530勝を挙げるなど、相撲界に大きな足跡を残しました。殊勲賞1回、敢闘賞6回、そして1992年名古屋場所では13勝2敗で平幕優勝という快挙も成し遂げています。
身長194cm・体重192kgという恵まれた体格を活かし、得意技は突っ張り、左四つ、上手投げなど。特に左四つからの寄りや上手投げには定評があり、横綱・大関陣と互角に渡り合った取組も数多くありました。
特筆すべきは、昭和・平成の力士たちがしのぎを削る中、地元・茨城県水戸市出身の力士として全国に名を知らしめたことです。地元の期待を背負い、長年土俵に立ち続けたその姿勢には、多くのファンが熱い声援を送りました。
豪快な塩撒きと「ソルトシェイカー」の異名
水戸泉といえば、あの豪快な大量の塩撒きが代名詞です。一度に600g近くもの塩を空高く舞わせる姿は圧巻で、「ソルトシェイカー」という異名が付けられるほどでした。この独特の所作は、プロレスやK-1のようなパフォーマンスとは異なり、日本古来の神事や祭の所作、または武芸・武道における儀式的な意味合いを持つ、れっきとした伝統に則ったものでした。
実はこの塩撒き、初めから計算されたものではなく、付き人の「勝てないならせめて塩を豪快に撒いたらどうか」という助言がきっかけでした。初めの頃は塩を撒く回数も多かったそうですが、後に「制限時間いっぱい」に限定するようになり、より一層印象的な演出として定着しました。
観客から見れば派手なパフォーマンスに映るかもしれませんが、そこには「相撲は神事である」という精神と、「土俵は清めの場である」という伝統的な意識が息づいています。水戸泉の塩撒きは、その伝統を現代に伝える象徴的な行為でもあったのです。
忘れられない取組と勝利
水戸泉の取組の中でも語り草となっているのが、1989年7月場所での千代の富士戦です。相撲ファンなら誰しもがその瞬間を記憶しているであろう、関脇・水戸泉が、絶対王者とされていた千代の富士から金星を挙げた一番です。これは、彼の力士人生の中でもひときわ輝いた瞬間の一つです。
また、1988年5月場所初日の霧島戦も、3回の取り直しの末に勝利した激闘として、今なおファンの記憶に残っています。土俵上での持久戦は、単なる体力勝負だけでなく、精神的な強さも試されるものです。何度も立ち上がり、勝利をもぎ取るその姿に、観る者すべてが胸を熱くしたのではないでしょうか。
こうした取組の一つ一つが、当時の相撲ファンにとって「見る価値のある一番」であり、いまでも語り継がれる名勝負のひとつになっています。
相撲ファンに与えた希望と勇気
錦戸親方の現役時代の活躍はもちろん、引退後も多くのファンに親しまれています。特に、2016年に腎不全を公表し、人工透析を受けながらも部屋の親方として弟子を育て続けているという姿には、多くの支持と共感の声が寄せられました。
ただ単に「病気を公表した」というだけでなく、その後も部屋の運営を続け、自らの立場を全うしている姿は、ファンにとって「第二の人生を前向きに生きる姿勢」のお手本ともなっているように思います。大きな身体を使って土俵で戦ったあの頃とは違い、今は言葉や背中で伝える力が、そのまま弟子たちやファンの心に届いているのではないでしょうか。
絵画やゲーム、そして“二足のわらじ”の結婚生活
現役時代から水戸泉関は多彩な趣味を持つことで知られていました。特に油絵に関しては、引退相撲のポスターに自画像を使用するほどの腕前で、小学生の頃から漫画を模写していたというエピソードもあります。仕事や治療だけでなく、自分の「好き」を大切にするその姿勢には、多くの人が共感を覚えたことでしょう。
他にもプロ野球・読売ジャイアンツの熱心なファンであることや、人気RPG『ドラゴンクエスト』に熱中しすぎて付き人にレベル上げを頼んだというエピソードも微笑ましいものです。力士のイメージに縛られない人間的な魅力が、親方としての今にもつながっていると感じます。
そして、2016年には22歳年下のソプラノ歌手・小野友葵子さんとの結婚を発表されました。年齢差以上に注目されたのが、「女将業と歌手業の二足のわらじをはく」という妻・友葵子さんの決意の言葉です。
「これからは、女将業と歌手業を両立させて頂き、皆さまのご指導、ご鞭撻を頂きながら、親方、そして錦戸部屋をサポートしていけるように、頑張って参りたいと思います」
この言葉を目にしたとき、私は何となくですが、希望を持てた気がしました。透析という制限の多い治療を続ける中でも、人生には新しい出会いや可能性があり、自分を理解して支えてくれる存在もいる。そう思えたことで、私自身も少しだけ未来に前向きな気持ちを抱くことができました。
相撲界での語り草となったエピソード集
錦戸親方の人柄を象徴するエピソードは、相撲ファンの間で今なお語り継がれています。たとえば、付き人が相撲界を去ろうとしていたとき、「俺も昔は弱かったんだよ」と静かに語りながら、自ら涙をこぼしてしまったという話は有名です。このことがきっかけで、親方には「泣きの水戸泉」という異名がつきました。厳しい世界にいながらも、人の心に寄り添う優しさがにじみ出ていた証でしょう。
さらに、同じ高砂部屋でともに汗を流した元大関・小錦八十吉(KONISHIKI)とのエピソードも忘れてはなりません。小錦関はハワイ出身で、当初は日本の文化や言語に慣れず、孤独を感じていたそうです。そんな中で、最も自然体で接してくれたのが水戸泉関(現・錦戸親方)だったと本人が語っています。「彼だけは差別もなく、本当に優しくしてくれた」と後年語ったインタビューは、多くの人の心に残っています。
なお、小錦関も腎機能の低下と向き合っていたひとりであり、2024年12月4日に神奈川県の湘南鎌倉総合病院で生体腎移植手術を受けました。8年ほど前から腎機能の低下が進行し、2024年6月の米国公演中には心機能が15%にまで低下。命に関わる事態となる中で、妻・千絵夫人が「私の中にいる」と腎臓の提供を決断し、移植に至りました。
手術は約6時間かけて行われ、成功後の記者会見では「99.9歳まで生きられる」と満面の笑みを見せた小錦関。その明るい姿は、同じように病と闘う人々に大きな希望を与えています。武蔵丸(武蔵川親方)の腎移植の成功例が背中を押したとも語っており、元力士たちの健康問題とその乗り越え方が、今なお注目されています。
こうした仲間同士の支え合いや、相撲界という閉ざされたように見える世界の中にある「温かさ」は、観る者に大きな感動と学びを与えてくれます。そして、透析を受ける身としても、「病気を理由にあきらめない」「誰かとともに支え合って生きる」ということの大切さを教えてくれる存在です。
まとめ
錦戸親方こと元・水戸泉は、関脇として土俵で数々の名勝負を繰り広げた名力士であり、その後も相撲部屋の親方として若手の育成に尽力してきました。しかし、その華やかな経歴の裏には、糖尿病性腎症によって腎機能が著しく低下し、現在では人工透析治療を受けながら生活を続けているという現実があります。
稽古場に出られない時期があったことも、体調の問題によるものと知ったとき、同じ透析患者として深く共感せずにはいられませんでした。仕事や家庭、役割を抱えながら透析を受けるということは、想像以上の覚悟と努力が求められます。
また、親方の透析治療を取り巻く環境を知ることで、働きながら透析を受けている私たちにも、「あの人もがんばっている」「自分もできることがある」と、前向きな気持ちを与えてくれます。そして、小錦関のように腎移植という選択をし、再び明るい笑顔で前を向いている力士たちの姿にも、人生の希望を見出すことができました。
人生において、病気や治療は「終わり」ではなく「新たな始まり」。その姿勢を体現している錦戸親方の生き様から、私たちはこれからもたくさんの学びと勇気を得ていけると感じています。