あなたの透析生活は変えられる!QOL(生活の質)向上を目指して。

こんにちは、とむです。

この度は、「腎者エール!」にお越しいただき、ありがとうございます。

透析は20年超に

私は28歳のときに透析導入を決断し、透析歴20年超を迎えました。

「20年」と聞くと、とても長く思われるかもしれません。でも実際にその年月を過ごしてきた今は、「あっという間だった」と感じる部分もありますし、「本当によくここまで歩いてこれたな」としみじみ思うこともあります。

最近なって透析生活をしはじめたという方、透析生活が数年経った方へ。
近い将来透析するかもしれない方にも。

あなたは透析についてこんな事で、悩んでいたり心配していませんか?

●透析って何?長期的な慢性合併症について知りたい…。
●シャントや体重管理が大事が!?さもないと…。

●透析しても旅行や運動、仕事って普通にできるの?何か不安で…。
●腎臓病とも違う食事療法!?制限はあっても少しはいい食事は摂りたい…。

●今の会社の給料だけで生活して行ける!?転職で伝えることとは…。
●透析患者の年金、福祉サービスなどが知りたい(使ってみたい)…。
●透析生活を変えたい、家族との時間も共有したい。何かヒントは…。

このサイトは、特に働き盛りの青壮年期(20代~40代)の方々に届けたいと思っています。

なぜなら、私自身もその時期を透析とともに歩んできたからです。

「透析は生活の一部」

「透析があるからこそ、また仕事ができる」

「仕事をする、生きるために、透析は必要不可欠」

これが、透析歴20年の私が辿り着いた、紛れもない現実です。

もしあなたが今、

「透析生活をもっと良くしたい」

「QOL(生活の質)を上げたい」

と思っているなら、ぜひ読み進めてみてください。

きっと、何か新しいヒントが見つかるはずです。

私の透析との歩み

腎臓病との付き合いは、学生時代から始まりました。


大学4年生の健康診断で、尿たんぱくが出て、構内で倒れたことをきっかけに「低形成腎(先天性の腎臓の発育不全)」と診断されました。


腎臓の機能は人並みに10だとすると、私は4〜6程度の腎機能でずっと頑張ってきたのです。

28歳のとき、とうとう透析を始める決断をしました。

あのときの迷いや葛藤は、今でもはっきり覚えています。

【『学生時代はどうだった…』

学生時代はあれこれ忙しかった

私の学生生活は、講義、サークル、ゼミ、ボランティア、そしてバイト・・・。
まあ、ほとんど休みがありませんでした。

もともと虚弱体質だったので、小中学生のときの朝会ほど辛いものがありました。

ふつうに朝は起きられるものに、「貧血がひどい」「立ちくらみ」「何となく具合が悪い」。
月曜日の朝会はそんな感じだったのです。

無理がたたったのでしょうか、大学4年の健康診断で、尿たんぱくが出たうえに、倒れてしまったのです。
ここからです。腎臓病との付き合いは!

尿検査でひっかかる。侮ってはいけない!

腎臓病といってもいろいろありますが、私の場合の病名は「低形成腎(ていけいせいじん)」というものでした。字のごとく先天的な発育不全であって、正常な腎臓よりも小さなもの。

医師より病名が判断されるのに、時間を要したのを今でも記憶しています。

「腎臓は老廃物を体から追い出す」という、とても大事な仕事をしていますが、ほかにも血圧を調整する、血液をつくる等といった役割もあります。

「腎臓が小さい」ということは、健康な人の腎臓が10レベルの機能だとしたら、4~6レベルの機能でしか頑張ってきたということですね。

「赤血球」って聞いたことはあるでしょう、理科・生物の授業でもきちんと触れましたよね?

赤血球は、骨髄の中にある細胞が、腎臓から出るホルモン(エリスロポエチン)の刺激を受けてつくられます。腎臓の働きが悪くなると、このホルモンが出てこなくなってしまうため、血液が十分につくられず貧血になることがあります。

思春期という成長期において、朝会はまあ気分が悪いし、貧血気味だし・・・。血液(=赤血球)が十分に作ることができないから、貧血対策のためにと、親からはレバーやホウレン草など鉄の多い食品をいっぱい食べさせられました。そして、病院にも通いながら、貧血が顕著ならば鉄剤を処方してもらうこともありました。

小・中・高と健康診断での尿検査は、今も昔も変わらずに「尿たんぱく」「尿潜血」が検査項目はあるのです。が、ここに盲点があるような気がします。異常があってもさほど「気にしていない」「放置してしまう」。そんな親御さんいませんか?しかも、話題にもならないくらいようで…。

なぜなら腎臓はというものは悪くなっても、”痛み”がありません。「元気に遊びたい」「友だち付き合いが大事」という子どもの立場・視点からすれば、そのまま放置、調子悪くでも隠し通したいというのも、まあ無理もないかなとは思います。

でも、今でも強く思います。「何とかならないかな、尿検査の項目!」「小中学校のときでも見つけることができたのなら…」と。

通院していくなかで「透析」という言葉を聞くに連れ、医師に低形成腎と判断されたところで、患者である私、家族にとってすべきことは、ただ一つ。

「いかに透析するまでの時間を稼ぐのか(時期をを先延ばすのか」ということ。

これはにわかに自分もまた家族も受け入れがたくて、かなりの難題だと思いますね。

なぜなら、「失いかけてゆく腎臓の機能を元に戻すことは難しい」「透析は腎移植でもしない限り、一生もの」ということですから!

私が小学生の頃、いつも一緒に帰る仲のよい友達がいました。腎臓が悪かったのです。ネフローゼ症候群です。たまに休みになったり、急きょ入院してしまったりして、お見舞いに行ったりすることもあったのですよ。体育の時間は運動制限されていて、年中体育座りで授業を見ていた感じです。

今、彼はどうしているのかな…、元気にしているかしら!?

『好きな職種で、好きな仕事に就いて』

20代は介護職に就いていました。
20代の頃の私は介護職に就いていました。介護職は、低賃金で3K(きつい、汚い、危険)と言われています。

しかし、私にとって介護という仕事こそが、仕事のやりがい、生きがいであったのです。3Kのことはあまり気にはしていました、若かったかもしれないし、もっとも人間関係も良好だったから!

(介護職の労働条件や賃金体系、就業者不足問題の顕在化・・・。当時と比べて悪くなっているような気がしてます。もし、今透析していないとしたら、介護職を続けているのではと思いますね。)

振り返ったから分かったこと。

この3Kこそが、いっそう腎臓の機能の低下を進めることになり、透析導入を早めてしまったのではとも感じています。

なぜなら、この時期(腎不全保存期という)の腎臓にとって、不規則な生活、重労働、疲労、ストレス…はどれをとっても敵。

もっと自分に労りを持っていればと思うのです。労りがあれば、申し少し先に透析の時期を延ばすことはできたかもしれない。

本来ならば自分の腎臓を守るべきであり、「仕事のやりがい」や「生きがい」どころではなかったはずです。

でも、仕事を全うした自分がいるわけで、今さら自分の生き方は否定するつもりはありません。

この「腎不全保存期」の間にあっても、きちんと腎臓病による食事療法や薬物療法を行ってました。この時期の腎臓病食の基本は「低タンパク、高カロリー、減塩」が基本中の基本、毎日続けていきました。

食事療法をしている自分も大変なのですが、家族にもいろいろと協力してもらいました。食事で「美味しい」「味が薄い」などと、一喜一憂している場合ではありませんでした。

「いかに透析するまでの時間を稼ぐのか、時期をを先延ばすのか」であって、時間の問題なのですから。

通院のたびに、食事療法の効果で検査データが良くなっているようにみえました。「良くなっているようにみえている」だけです。

それでも、少しずつ少しずつ透析導入へ向かっていったのです。

『我28歳。透析導入という人生の転換期…』

28歳にして透析導入することを決断

もうそろそろ透析をしなくてはいけないという時期になってきて、経験もしたこともない心身的な不調を来たすようになってきました。これが、末期腎不全で見られる「尿毒症」の症状です

「まだ28歳だっていうのに」
「いや、これからだ!」
「この1年の間にいったい何をしていたのか!」

療養期間は約1年ほど及びましたが、透析導入に至るまでには自分の透析の受け入れに対するメンタル部分でいろいろと錯綜していました。

・「これからも介護職はやりたい(続けていきたい)」
・「また福祉の職就いたとしても・・・、けれど、作ってもらった肝心のシャントのほうが危ないかも!」
・「もう仕事は介護職から事務職へ切り替えしないといけないのかも?」
・「(単純に計算すれば、)1年の療養といっても仕事していないことになる。何とかしてブランクを埋めないと・・・。」

思えばこの時期は、「失われた10年」と呼ばれた不況期の真っ只中。何とか働き口を見つけて、透析と仕事の両立を模索し続けてきました。

どんなことをしてきたのか?

介護職を通じて知った、興味・関心を持った資格を取り、事務職の基本(PCやOfficeの操作)について学んでおこうと思い、電車通いで通学することにしました。ついでにハローワークにも。

今の時代はハローワークへ行けばPCで求人検索できるようになっていますし、ネットでも可能ですよね。

しかし、当時はファイル内に求人用紙がでまとめらていて、1枚1枚探していくような時代。「障がい者向け求人」はあったようで無いに等しく、「一般求人」で探していましたよ。社員募集は結構だけど、パートやアルバイトしか無いのでは?と思ったくらいです。

「もう一般求人で探すのは、正直難しいのでは!」
「失われた10年」の真っ只中で、いつになったら景気は良くなるのか?」
「ブランク1年以上。もう2、3年も作るわけにはいかない!」

絶対に資格を取得して、何としてでも仕事を探しだして、採用されることだけを目指しましたね。

大学以来の本格的な転職活動でした。希望する民間企業に応募し、早々と入社を決めるスタイルに懐かしさを覚えました。履歴書も職務経歴書も書き足すことが増えたのですから!

たかが療養のためにブランク1年弱を作ってしまったこととに加えて、透析治療も行っていたため、転職活動は長期化になることへの緊張感・憔悴感に、透析導入時の疲労感も募らせていましたね。

正直に言うと、通学のために学校に向かう交通費は痛かったです。
なぜなら、介護職で低賃金が堪えました。食事療法にかかる食事代(低たんぱく質のごはんやおかずなど)や医療費もかさみます。なかなか貯金もできないでいて・・・(20代後半ってこんなもん??)。

 

地方都市部へ出てきて、通学したときは「美味しいもの」「買い物」したいと考えがちですが、控えてました。ですが、唯一楽しみにしていたことがありました。

それが、時々開かれていた「異業種交流会」や「起業支援セミナー」に参加することでした。それらにちょこちょこと顔を出していたのですよ。

ほぼ日中は、資格学校の授業やハローワークでの手続きを終えていたので、夕方以降の良い時間帯に行けました。「参加無料」だったことも大きかったですね。

参加してみて思ったこと。「何か事業を起こせるヒントないかな?」「若年起業も夢じゃない!」・・・と。

当時はDVDや有線回線によるネットワークという形でしたが、事業家(起業家)のお話しが聞けるので、自分のなかで、何かと刺激を与えてくれて吸収することができる良い機会だったと思います(ちなみに、今でいうところの、職業能力開発促進センターが主催のものでした)。

当時の転職活動の状況はというと、世の中が不況!

「失われた10年」の真っ只中でしたから、大学を卒業したときはすでに、なかなか就職ができないでいる「失われた10年の1、2年生」のようなものでした(私のその世代です・・・)。

はじめて「障がい者採用枠」でハローワークの窓口に顔を出してみたのですが、当然ながら求人はパートやアルバイトばかりの求人で、希望するのがなく、募集している会社はいつも見慣れたものばかりでした。

「ブランク1年以上。もう2、3年も作るわけにはいかない!」

まあ、この気持ちだけが強くて、良い求人もなかなか無いなか、私はある某会社を選んでハローワークの職員の方にアポイントを取ってもらうことにしました。

しかし「この会社はあまり行かないほうが良いよ!」って言われてしましました。「えっ、なんですって。そんな会社を紹介して大丈夫なの?」と内心思いつつ、そのように職員が言っていること自体があまりにも強烈すぎました。

でも介護職をしていた私にとって、「事務職」でそれなりのお給料を頂けるというのは、魅力的でした。ボーナスも無いに等しかったのですから!

けれども職員が「離職率も高い」「いつでも応募している」というのですよ(今で言うと、これって典型的なブラック企業でなのですね。実際にそうでしたが・・・)。

会社側曰く、今回「障がい者枠で、はじめて雇ってみたい」職員がとのことで、私はさっそく書類に応募し、面談を通してもらい、入社することを決意したのでした。

『介護職から事務職へ』

事務職から介護職へ。デキル人を探す!
『介護職から事務職へ』。仕事については、何もかも新鮮でした。

事務職の基本の電話対応から接客対応、銀行入金や車管理、営業支援…。

あたりあまえですが、「やったことがありません!」

異業種交流会や起業支援セミナーのことを思えば、いずれは独立したいと思い立ったときに、「この会社で働かせてもらったことをどんどん吸収していけば、それはすごい学びになるよなあ~」と思ったわけです。あとは「営業スキル」なんかも必要なんだと!

繰り返しますが、まあ介護職に比べてお給料も良く、ほぼもらったことも無いボーナスの額には、あ然と驚きましたね。社風といえば厳々としていて、典型的な昭和の体育会系な会社!ですよ。どこにこんな会社が存在するんだ!と。正直びっくりしました。

「たかが5年、されど5年」という期間でしたが、私のなかでは「仕事ができる人」、つまりメンターなる人物を探していました。

仕事のできる人っていうのが女性の方でして、他県から異動してきた上司に付きました。

まあ「仕事の出来具合いは素晴らしかった!」今でもそう思っています。

ただですね、ひねくれもので口が悪く好かれない方でしたが(今の時代ならかなり問題ありあり!パワハラでしょうね)、「仕事面」だけで見れば「絶対に真似したい」「超えたい人だなあ」と、本心からそう思いました。

しかしながら、「障がい者枠で、はじめて雇ってみたい」というのは何だったのか!?透析のために通院をする時間だというのに、結果、下道でなく高速道に乗って行ってみたり、透析時間の開始がギリギリになってスタッフさんには誤ってみたり・・・。仕事だからと、仕事上受注があがったり、繁忙期になれば透析時間が短くなってしまうことも度々ありました。(支店レベルのため代えが効かない部分もあったと思います。)

朝も早いですが夜遅くまで残業することもあり、土日出勤のときも・・・。透析日以外の日でカバーする、それでいて、体育系の会社だからと”頑張り””気合い”で見せる。

仕事についていくのも精いっぱいだけど、上司を見習いたい。かといって、時間も迫ってくる。

年齢は30代前半と、まだ若いし働き盛りかもしれないけれど、当然に透析からくる疲労感もあり、身体がきつく、「透析時間の確保に問題あり!」と考えました。こうして「透析と仕事」の両面から、転職や転院を含めた見直しをする必要があるなと考えるに至りました。

転職しました!頭のなかでは独立や起業も考えてみましたが、勉強足らず、もっと事務のことを学んでもよいのではないかと考えました。

病院は変えずに透析に理解いただける会社に!

まずは20年目を目指します。定年を迎えても、継続的に働けると良いなあ~と。

コロナ禍が変えた透析現場と私たちの生活

2020年のコロナウイルスの流行は、透析患者にとっても大きな転機となりました。感染症対策が必須となり、病院の空気も緊張感に包まれました。

私自身は透析導入してまもなく、SARSウイルス(重症急性呼吸器症候群)が、そしてMERSウイルス(中東呼吸器症候群)の中での透析をしました。そのときの医療体制をも目で、耳で見たり聞いたりしました。

思うところ、誰しも望むことは収束(終息)ではありますが、ウイルスや細菌は決して消えることはありません。常に隣り合わせであるし、進化しているのです。

私たちはそれらと「共存していくこと」を考えながら透析生活していくことなのだと、つくづく感じさせられたわけです。

インフルエンザだって、然りです。毎年、冬になれば予防対策(予防接種やうがい・手洗いなど)を行いますし・・・。

ワクチンや治療薬の開発が進み、生活はだいぶ落ち着きを取り戻していますね。

それでも、手洗いやマスクの着用は、私たち透析患者にとっては、もう「習慣」の一つ。

自分の身を守り、周りの大切な人たちを守るために、これからも続けていく必要があると感じています。

AIとICTがもたらす透析の進化

最近は、AIやICTの導入によって、透析医療が大きく変わりつつあります。

透析中の血液データやシャントの状態をリアルタイムでモニタリングし、AIが自動的にアラートを出してくれる。


そうした技術の進歩により、合併症リスクを抑え、安全性が大幅に向上しています。

また、私が通院する施設でも、診療情報の「電子カルテ化」が進みました。以前は紙のカルテで手書きされていた情報が、すべてPCで管理され、医師や看護師が瞬時に情報を共有できるようになっています。


おかげで治療の流れがスムーズになり、安心感が増しました。

医療現場の「働き方改革」と人手不足

一方で、私が通う病院でも、働き方改革の影響による医師や看護師の不足感が、徐々に強まっています。

スタッフの数は限られているのに、患者は増え続ける。


「これからどうなるのだろう」という不安は、私たち患者だけでなく、医療者側も感じているはずです。

そんな状況だからこそ、患者である私たちも「自分の体は自分で守る」という意識がより大切になってきています。


スタッフの負担を減らすためにも、日々の体調管理や自己管理は、これからの透析生活における必須スキルだと思っています。

在宅透析という選択肢

在宅血液透析(HHD)や腹膜透析(PD)が、ここ数年でぐっと普及してきました。

実は在宅でできることで、時間の自由度は大きく変わりますし、生活の質も向上します。オンライン診療や訪問看護のサポートが整い、昔に比べて、はるかに安全・安心な環境で在宅透析が行えるようになっています。

私自身、在宅透析に切り替えたいと思った時期もあったのですが、通院透析のメリットも感じているため、今はまだ様子を見ているところですね。けれども、「選択肢がある」だけでも安心感は違います。

腎臓移植の今

腎臓移植も、依然として課題はあるものの、技術は進歩しています。

生体腎移植や献腎移植における成功率は向上し、最新の免疫抑制剤によって、拒絶反応のリスクも抑えられるようになってきました。

ただ、日本ではドナー不足が深刻で、移植を待つ人が多いのも現状です。移植か透析か——それは簡単に答えが出るものではありません。


でも、「選べる」ということ自体が、透析患者にとっては希望だと、私は思っています。

『あなたにとってのQOL(=生活の質)って何ですか?』

QOL(生活の質)って何ですか?

健康な人であっても病気にはかかります。風邪をひいたり、お腹が痛くなったりしたなら、家や会社近くにある耳鼻科や内科に通って、診療してもらい、処方薬を飲めば治ります。

しかし腎臓病の治療以上に「透析」の治療になってしまうと、ほんとうは「できること」なのに、「しないほうが良いこと」「回避したほうがよいこと」に変わってしまうことが出てきて、付き合わなければならなくなります。それが、自己管理だとか自己制限、社会的な壁であったりするわけです。

健康な人には無縁な「食事療法」「シャントの自己管理」「ドライウエイトの管理」など。しかし、それらは透析患者にとって生きていくうえで、みな必要なものばかりです。

腎臓移植をして、「また健康な状態を取り戻したい」と願いたいところですが、移植の普及率は透析歴20年経った私がデーターを見ていても、低調です。

透析は一生のものです、透析と生涯付き合っていかなければならないのです。

透析患者になっても、生涯付き合っていかなければならないからこそ、真剣に考えていきたい。

透析患者なりに、

「どのようにしたらQOL(quality of life=生活の質)を高められることができるだろうか?」と。

私も一所懸命に悩んできて、考え抜いて、変えてきました。

生きているうちはずっと現在進行形であり、永遠の課題であり、その時々のテーマだと考えています。

そもそも「QOL(quality of life=生活の質)とは何でしょう?」

引用させてもらいますと、

「物理的な豊かさやサービス量のことを言うのだが、自己の身辺自立だけでなく、精神面を含めた生活全体の豊かさ、自己実現を含めた概念のことを言う」。

「精神面を含めた」とか「自己実現」といったところは、大事なポイントですね。

先述した『介護職から事務職へ』のなかで言うならば、仕事をし給料をもらって生活するうえで必要。

けれども、自分の選んだ会社は給料こそ良かったが、透析時間の確保していくことが問題になってきて「透析と仕事」の両面から見直しをする必要が出てきたわけですね。

つまり、透析と仕事のバランスが崩れてしまったから、転職することを決めたわけです(そして、今は別の会社で仕事をし続けているわけです!)

透析と仕事、そこに家庭、プライベートも入ってくるので、いろいろと難しいです。

「あなたにとってのQOL(=生活の質)って何ですか?」

「QOL(=生活の質)というのは、人それぞれですが…」

そうですね。答えというのは当の透析患者にしかわかりません。

私は28歳にして透析導入の決断をしたものの、

「4~5時間もの長丁場の治療時間をどう過ごすのか!」
「東京-名古屋間、新幹線「ひかり」が1往復できる」
「治療してる間に華金を楽しんでる人達がいる」・・・

こういうことを色々と考えるたびに、正直悔しく虚しくなったりもしました。

私だけじゃない、透析患者にとって切実な問題であり、悩みとしても抱えているはず。

世の中には、ほかの疾病で入院なり闘病されている方もいると思えば・・・。

透析の病院の院内環境によって(医療方針、設備の問題もあるのだろうが)、透析中に観たくもないTVを見て、電波がなかなか入って来ないラジオ番組、無理して片手で読む小説。

結局は何もすることがなく、時間を持て余して仕方ないから寝ている・・・。

私は、「本当にこれでいいのだろうか」と、つくづく感じていましたね、紋々と問うていた感じです。

「QOL(=生活の質)、人それぞれですが…」。

多少なりとも、違和感はあります!私なりになのですが、「健康な人よりも、時間も経験も人生も損している。絶対に損してるよ、きっと!」そう、思っています。

腎臓病を含む透析病院・クリニックのWebページを見ていると、透析中の過ごし方や透析患者の仕事などについて、本当に具体的に書いているところは見かけません。「これって、おかしくありませんか!?」
「そう感じませんか?」

事実、病院は透析という医療の処置をするもであって、医療そのものを提供するだけに存在しているほかなりません!

そのため、あたりまえ!?なのかもしれないのですが「医療面で見たQOL(=生活の質)を高めるためにはどうするか?」という視点でしか描けないのです。

ぶっちゃけ、病院や診療案内、スタッフ紹介で終わっているところさえもあるのです。

透析患者は4~5時間もの時間を「透析のため」に費やしています、それに加えて、通院のための移動時間に、着替えや待機時間も。

「生きるためなのか」「生き延びるため」なのでしょうか?

私には幸いにして興味・関心が強い方なので、病院のなかで過ごす時間はできること、許される範囲内のなかで「周りの人にも何も言われずにできることって何なのか!」ということを自問自答してきました。

事務職に食らいつくために、書籍(テキスト)を持ち出しては資格の勉強をしてみたり、PCが持出しOKとなった頃には、マイクロソフトのOfficeの基礎編からはじめて操作を覚えるといったように…。

時代は刻々と移り変わっています。20代→30代→40代と年齢を重ねました。

当時はガラケー(携帯電話)やワープロ、MP3プレイヤーなどが主だったものが、今では、ススマートフォン・タブレット、ノートPCを持ち出しては、仕事に関する講座を視聴したり、映画や音楽を楽しんだりしていますよ!

あっ、↑これは私の透析しているときの過ごし方ですよ( ´艸`)。

思うに、透析患者も時代に沿ってあわせるように、「自らのQOL(=生活の質)の向上のために動かなければならないと!」と思っています。動かないのもダメ!待っていてもダメだと思います。

透析という治療についても然り、気づかないようで透析の治療方法も少しずつ変わってきていますね。透析年数も長くなれば、年齢も自然と重なってゆき、合併症も出てくるでしょう。

病院(医師、看護士や管理栄養士などのスタッフさん)に任せっぱなしにしておくのではなく、「自分の身体は自分で守るしかない」、あなた自身で・・・。

あなたは「透析のことを知る努力を惜しんでならない」と思います。

医師、看護師さんの誰よりも、24時間365日。自分の体調や症状に詳しく、向き合っているのは、あなた自身なのですから!

例えるなら、医師とか看護士さんではなく、あなたも透析患者ではあるけれど、透析の専門家であるのです。私も一緒になって学んでいます、これからもずっと透析のことを・・・。

健康な人とまではいかないまでも、現に生活上の制限や成約、不都合があったとしてもQOL(=生活の質)を上げることは十分に可能です。


歳をそして透析の年月を重ねていけば、ADL(=「日常生活動作」)やIADL(日常生活の基本動作ADL(日常生活動作)に関連した、買い物・料理・掃除などの幅広い動作に及んでいくことでしょう。

今の私の考える透析生活の最適解とは「自分らしく、QOLを向上させ、時間の価値を見いだす」ことです。

つまり、QOL(=生活の質)を向上させながら、与えられた時間に価値を見いだし、有意義な1日1日を過ごしていきたいのです。

自分らしく生きる、自己実現をさせていく!

まとめ

透析歴20年を迎え、これまでの経験を振り返ると、「透析を続ける人生も悪くない」と思える瞬間が、確かにありました。


あなたにとってのQOL(生活の質)は、あなただけのものです。

「自分らしく生きる」という選択を、どうか大切にしてください。

これからも「腎者エール!」を通じて、私自身の学びや経験を発信していきます。何かの参考になれば、こんなに嬉しいことはありません。