あなたの透析生活は変えられる!QOL(生活の質)向上を目指して。
こんにちは、とむです。
この度は私の「腎者エール!」へのご訪問ありがとうございます。
最近なって透析生活をしはじめたという方、透析生活が数年経った方へ。
近い将来透析するかもしれない方にも。
あなたは透析についてこんな事で、悩んでいたり心配していませんか?
●透析って何?長期的な慢性合併症について知りたい…。
●シャントや体重管理が大事が!?さもないと…。
●透析しても旅行や運動、仕事って普通にできるの?何か不安で…。
●腎臓病とも違う食事療法!?制限はあっても少しはいい食事は摂りたい…。
●今の会社の給料だけで生活して行ける!?転職で伝えることとは…。
●透析者の年金、福祉サービスなどが知りたい(使ってみたい)…。
●透析生活を変えたい、家族との時間も共有したい。何かヒントは…。
当サイトは主として、働き盛りで青壮年期にいる方々に読んでいただきたいと思います。
なぜなら私もその真っ只中におり、現に透析者であるからです。
ここから情報発信していきたいと考えました。
「透析者にとって透析は生活の一部分と融合する」
「透析があって仕事ができる」
「仕事といい、生きていくためには透析は必要」
これらは類もない事実です。
ですので、透析について何かしら未知なことがあったり、あなたの置かれている環境下において、QOL(生活の質)の向上させたい、そう行動していきたいのなら、ぜひ私のサイトを読んでみてください。
少しでも参考になれば幸いです。
自己紹介をしたいと思います。
私が腎臓病との付き合いが始まったのが、学生のときでした。
透析導入を決断したのは、28歳のとき。
十数年の年月が経ちました。長いようでも短いようでもあり。
振り返ってみれば、働き盛りである青壮年期である20代、30代、40代という時期を過ごし、生きています。
私がこれまでにどのような経緯で、透析生活を送ることになったのかを交えて話ししていきます。
【最終更新日:2020.3.01】
『学生時代はどうだった…』
私の学生生活は、講義、サークル、ゼミ、ボランティア、そしてバイト・・・。
まあ、ほとんど休みがありませんでした。
もともと虚弱体質だったので、小中学生のときの朝会ほど辛いものがありました。
ふつうに朝は起きられるものに、「貧血がひどい」「立ちくらみ」「何となく具合が悪い」。
月曜日の朝会はそんな感じだったのです。
無理がたたったのでしょうか、大学4年の健康診断で、尿たんぱくが出たうえに、倒れてしまったのです。
ここからです。腎臓病との付き合いは!
腎臓病といっても、私の場合、病名は「低形成腎(ていけいせいじん)」というものでした。
字のごとく先天的な発育不全であって、正常な腎臓よりも小さなもの。
医師より病名が判断されるのに、時間を要したのを今でも記憶しています。
腎臓は老廃物を体から追い出すという、とても大事な仕事をしていますが、ほかにも血圧を調整する、血液をつくる等といった役割もあります。
「腎臓が小さい」ということは、健康な人の腎臓が10レベルの機能だとしたら、4~6レベルの機能でしか頑張ってきたということです。
「赤血球」って聞いたことはあるでしょうか、理科・生物の授業でもきちんと触れましたよね?
赤血球は、骨髄の中にある細胞が、腎臓から出るホルモン(エリスロポエチン)の刺激を受けてつくられます。腎臓の働きが悪くなると、このホルモンが出てこなくなってしまうため、血液が十分につくられず貧血になることがあります。
思春期という成長期において、朝会はまあ気分が悪い、貧血気味・・・。血液(=赤血球)が十分に作ることができないから、貧血対策のためにと、親からはレバーやホウレン草など鉄の多い食品をいっぱい食べさせられました。
貧血が顕著ならば鉄剤を処方してもらうことも。
小・中・高の健康診断での尿検査は、今も昔も変わらずに「尿たんぱく」「尿潜血」が検査項目はあることはありますが、しかし異常があってもさほど「気にしていない」「放置してしまう」。
しかも話題にもならないようです。
腎臓は悪くなっても痛みはありません。元気に遊びたい、友だち付き合いが大事という子どもの立場からすれば、そのまま放置、調子悪くでも隠し通したいというのも、無理もないです。
今でもこう思うのです。
「何とかならないかな、尿検査の項目!」「小中学校のときでも見つけることができたなら…」と。
「透析」という言葉は聞いたことはあっても、医師に低形成腎と判断されたところで、患者である私、家族にとってすべきことは、ただ一つ。
「いかに透析するまでの時間を稼ぐのか(時期をを先延ばすのか」ということ。
これはにわかに受け入れがたくても、かなりの難題だと思います。
失いかけてゆく腎臓の機能を元に戻すことは難しいのですし、透析とは一生付き合わなければならないということですから。
私が小学生の頃、いつも一緒に帰る仲のよい友達がいました。でも腎臓が悪かったのは知っていたので、たまに休みになったり、急きょ入院してしまったりして、お見舞いに行ったりすることもありました。
今彼はどうしていることか。
自分もこういうことになるとは、思っていませんでした・・・。
『好きな職種で、好きな仕事に就いて』
20代の頃の私は介護職に就いていました。
介護職は、低賃金で3K(きつい、汚い、危険)と言われています。
しかし私にとって介護という仕事こそが、仕事のやりがい、生きがいであったのです。
3Kのことはあまり気にはしていました、若かったかもしれないし、もっとも人間関係も良好だったから!
(介護職の労働条件や賃金体系、就業者不足問題の顕在化・・・。当時と比べて悪くなっているような気がしてます。もし今透析していないとしたら、介護職を続けていると思います。)
今振り返ったから分かったことですが、この3Kこそが、いっそう腎臓の機能の低下を進めることになり、透析導入を早めてしまったのではとも感じています。
なぜなら、
この時期(腎不全保存期という)の腎臓にとって、不規則な生活、重労働、疲労、ストレス…はどれをとっても敵。
もっと自分に労りを持っていればと思うのです。労りがあれば、申し少し先に透析の時期を延ばすことはできたかもしれない。
本来ならば自分の腎臓を守るべきであり、「仕事のやりがい」や「生きがい」どころではなかったはずです。
でも、仕事を全うした自分がいるわけです、今さら自分の生き方は否定するつもりはありません。
この「腎不全保存期」の間にあっても、きちんと腎臓病による食事療法や薬物療法を行ってました。
この時期の腎臓病食の基本は「低タンパク、高カロリー、減塩」が基本中の基本、毎日続けていくものです。
食事療法をしている自分も大変なのですが、家族にもいろいろと協力してもらいました。
食事で「美味しい」「味が薄い」などと、一喜一憂している場合ではありませんでした。
「いかに透析するまでの時間を稼ぐのか、時期をを先延ばすのか」であって、時間の問題なのですから。
通院のたびに、食事療法の効果で検査データが良くなっているようにみえました。
それでも、少しずつ少しずつ透析導入へ向かっていったのですね。
『我28歳。透析導入という人生の転換期…』
もうそろそろ透析をしなくてはいけないという時期になってきて、経験もしたこともない心身的な不調を来たすようになってきました。これが、末期腎不全で見られる「尿毒症」の症状です。
「まだ28歳だっていうのに」
「いや、これからだ!」
「この1年の間にいったい何をしていたのか!」
療養期間は約1年ほど及びましたが、透析導入に至るまでには自分の透析の受け入れに対するメンタル部分でいろいろと錯綜していました。
・「これからも介護職はやりたい(続けていきたい)」
・「また福祉の職就いたとしても・・・、けれど、肝心のシャントのほうが危ないかも」
・「もう仕事は介護職から事務職へ切り替えしないといけないのかも」
単純に計算すれば、1年の療養といっても仕事していないことになるから、何とかしてブランクを埋めないと・・・。
介護職を通じて知った、興味・関心を持った資格を取り、事務職の基本(PCやOfficeの操作)について学んでおこうと思い、電車通いで通学することにしました。ついでにハローワークにも。
今ではハローワークへ行けば、PCで求人検索できるようになっています。
当時はファイル内に求人用紙がでまとめらていて、1枚1枚探していくような時代でした。「障がい者向け求人」はあったようで無いに等しく、「一般求人」で探していました。
「もう一般求人で探すのは、正直難しいのでは!」
「「失われた10年」の真っ只中で、いつになったら景気は良くなるのか?」
「ブランク1年以上。もう2、3年も作るわけにはいかない!」
絶対に資格を取得して、何としてでも仕事を探しだして、採用されることだけを目指しました。
考えてみたら、大学以来の本格的な求職活動でした。希望する民間企業に応募し、早々と入社を決めるスタイルに懐かしさを覚えました。履歴書も職務経歴書も書き足すことが増えたのですから。
たかがブランク1年を作ってしまったうえに透析のことが重なり、求職活動がなかり長期化になることへの焦りや緊張感がありました。
正直、通学のために学校に向かう交通費は痛かったですね。
介護職で低賃金に、食事療法にかかる食事代(低たんぱく質のごはんやおかずなど)や医療費もかさみ、なかなか貯金もできないでいて・・・。
都市部へ出てきて通学したときは「美味しいもの」「買い物」したいと考えがちですが控えてました。
ですが、唯一楽しみにしていたことがありました。
それが、時々開かれていた「異業種交流会」や「起業支援セミナー」に参加することでした。
ちょこちょこと顔を出していました。
ほぼ日中に学校の授業やハローワークでの手続きを終えていたので、夕方以降の良い時間帯に行けました。
参加無料だったことも大きいかったですね。
参加してみて「何か事業を起こせるヒントないかな?」「若年起業も夢じゃない」・・・。
DVDや回線によるネットワークでお話しが聞けるので、何かで刺激を与えてくれて吸収することができました(今でいうと、職業能力開発促進センターが主催のものでした)。
当時の転職活動の状況はというと、世の中が不況!
「失われた10年」の真っ只中でしたから、大学を卒業したときはすでに、なかなか就職ができないでいる「失われた10年の1、2年生」のようなものでした(私のその世代です・・・)。
はじめて「障がい者採用枠」で顔を出してみたのですが、当然求人はパートやアルバイトばかりの求人で、希望するのがなく、募集している会社もいつも見慣れたものばかりでした。
「ブランク1年以上。もう2、3年も作るわけにはいかない!」
その気持ちだけが強くて、良い求人もなかなか無いなか、私はある某会社を選んでハローワークの職員の方にアポイントを取ってもらうことにしました。
しかし「この会社はあまり行かないほうが良いよ!」って言われてしましました。
そう、言われてしまったのが強烈すぎました。
介護職をしていた私にとって、事務職でそれなりのお給料を頂けるのは魅力的でした。
けれども「離職率も高い」「いつでも応募している」というのです(今で言うと典型的なブラック企業ですね、実際にそうでしたが・・・)。
会社側が今回「障がい者枠で、はじめて雇ってみたい」とのことで、私はさっそく書類に応募し、面談を通してもらい、入社することを決意したのでした。
『介護職から事務職へ』
『介護職から事務職へ』。仕事については、何もかも新鮮でした。
事務職の基本の電話対応から接客対応、銀行入金や車管理、営業支援…。
あたりあまえですが、やったことがありません!
「異業種交流会」や「起業支援セミナー」のことを思えば、独立したいと思い立ったとき、この会社で働かせてもらったことをどんどん吸収していけば、それはすごい学びの場だなと思ったわけです。あとは「営業」スキルとかも必要だなと。
介護職に比べてお給料も良く、ほぼもらったことも無いボーナスの額にもあ然と驚いていたのですが、社風とえいば厳々としていて、典型的な体育会系な会社に、正直びっくりしました。
たかが5年、されど5年という期間でしたが、仕事ができる人を探していました。
仕事のできる人っていうのが、女性の方で、異動してきた上司でもあり。
まあ「仕事の出来具合いは素晴らしかった!」
今でもそう思っています。
ひねくれもので口が悪く好かれない方でしたが(今の時代ならかなり問題ありです)、「仕事面」だけで見れば「絶対に真似したい」「超えたい人だなあ」と本心から思いました。
しかしながら、透析のために通院をしなければならないのに、結果、透析時間の開始がギリギリになったり、仕事上受注があがったり繁忙期になれば、透析時間が短くなってしまうことが度々ありました。
朝も早いですが夜遅くまで残業することもあり、土日出勤のときも・・・。透析日以外の日でカバーする、頑張りを見せる。
仕事についていくのも精いっぱいだし、上司を見習いたいし、かといって時間も迫ってくる。
年齢は若いし働き盛りかもしれないけれど、当然に透析からくる疲労もあり、身体がきつく、透析時間の確保に問題あり!と考えて、「透析と仕事」の両面から見直しをする必要があるなと考えるに至りました。
『あなたにとってのQOL(=生活の質)って何ですか?』
健康な人であっても病気にはかかります。風邪をひいたり、お腹が痛くなったりしたなら、家や会社近くにある耳鼻科や内科に通って、診療してもらい、処方薬を飲めば治ります。
しかし腎臓病の治療以上に「透析」の治療になってしまうと、ほんとうは「できること」なのに、「しないほうが良いこと」「回避したほうがよいこと」に変わってしまうことが出てきて、付き合わなければならなくなります。それが、自己管理だとか自己制限、社会的な壁であったりするわけです。
健康な人には無縁な「食事療法」「シャントの自己管理」「ドライウエイトの管理」など。
しかし、それらは透析者にとって生きていくうえで、みな必要なものばかりです。
腎臓移植をしてまた健康な状態を取り戻したいと願いたいところですが、移植の普及率は低調です。
透析は一生のものです、透析と生涯付き合っていかなければならないのです。
透析者になっても、生涯付き合っていかなければならないからこそ、真剣に考えていきたい。
透析者なりに、
「どのようにしたらQOL(quality of life=生活の質)を高められることができるだろうか?」と。
私も一所懸命に悩んできて、考え抜いて、変えてきました。
生きているうちはずっと現在進行形であり、永遠の課題であり、その時々のテーマだと考えています。
そもそも「QOL(quality of life=生活の質)とは何でしょう?」
引用させてもらいますと、
「物理的な豊かさやサービス量のことを言うのだが、自己の身辺自立だけでなく、精神面を含めた生活全体の豊かさ、自己実現を含めた概念のことを言う」。
「精神面を含めた」とか「自己実現」といったところは、大事なポイントですね。
先述した『介護職から事務職へ』のなかで言うならば、仕事をし給料をもらって生活するうえで必要。
けれども、自分の選んだ会社は給料こそ良かったが、透析時間の確保していくことが問題になってきて「透析と仕事」の両面から見直しをする必要が出てきたわけです。
つまり、透析と仕事のバランスが崩れてしまったから、転職することを決めたわけです(そして、今は別の会社で仕事をし続けることができているのです)。
透析と仕事、そこに家庭、プライベートも入ってくるので、いろいろと難しいです。
「あなたにとってのQOL(=生活の質)って何ですか?」
「QOL(=生活の質)というのは、人それぞれですが…」
そうですね。答えというのは当の透析者にしかわかりません。
私は28歳にして透析導入の決断をしたものの、
「4~5時間もの長丁場の治療時間をどう過ごすのか!」
「東京-名古屋間、新幹線「ひかり」が1往復できる」
「治療してる間に華金を楽しんでる人達がいる」・・・
こういうことを色々と考えるたびに、正直悔しく虚しくなったりもしました。
私だけじゃない、透析者にとって切実な問題であり、悩みとしても抱えているはず。
世の中には、ほかの疾病で入院なり闘病されている方もいると思えば・・・。
透析の病院の院内環境によって(医療方針、設備の問題もあるのだろうが)、透析中に観たくもないTVを見て、電波がなかなか入って来ないラジオ番組、無理して片手で読む小説。
結局は何もすることがなく、時間を持て余して仕方ないから寝ている・・・。
私は、本当にこれでいいのだろうかと、つくづく感じてしまいます。
「QOL(=生活の質)、人それぞれですが…」。
多少なりとも、違和感はあります!私なりにですが、
「健康な人よりも、時間も経験も人生も損している。絶対に損してるよ、きっと!」
そう、思っています。
腎臓病を含む透析病院のWebページを見ていると、透析中の過ごし方や透析者の仕事などについて、本当に具体的に書いているところは見かけません。
事実、病院は透析という医療の処置をするもであって、医療そのものを提供するだけであるのです。
そのためあたりまえ!?なのかもしれないのですが「医療面で見たQOL(=生活の質)を高めるためにはどうするか?」という視点でしか描けないのです。病院や診療案内、スタッフ紹介で終わっているところさえもあるのです。
透析者は4~5時間もの時間を「透析のため」に費やしています、それに加えて通院のための移動時間も。
「生きるためなのか」「生き延びるため」なのでしょうか?
私には幸いにして興味・関心が強い方なので、病院のなかで過ごす時間はできること、許される範囲内のなかで「周りの人にも何も言われずにできることって何なのか!」ということを自問自答してきました。
事務職に食らいつくために、書籍(テキスト)を持ち出しては資格の勉強をしてみたり、PCが持出しOKとなった頃には、マイクロソフトのOfficeの基礎編からはじめて操作を覚えるといったように…。
時代は刻々と移り変わっています。
今では、スマホ・タブレットを持ち出しては映画や音楽を楽しんでいます。
これは私の透析しているときの過ごし方。
透析者も時代に沿ってあわせるように、自らのQOL(=生活の質)の向上のために動かなければならないと、思っています。動かないのも。待っていてもダメだと思います。
透析という治療についても然り、気づかないようで透析の治療方法も少しずつ変わってきています。
透析年数も長くなれば、年齢も自然と重なっていきます。
病院(医師、看護士や管理栄養士などのスタッフさん)に任せっぱなしにしておくのではなく、自分の身体は自分で守るしかない、あなた自身で・・・。
しかもあなたは「透析のことを知る努力を惜しんでならない」と思います。
医師、看護師さんの誰よりも24時間365日。
自分の体調や症状に詳しく、向き合っているのはあなた自身なのですから。
例えるなら、あなたも透析の専門家であるのです。
私も一緒になって学んでいます、これからもずっと透析のことを。
追記)
2020年。コロナ禍にという情況になり、なかなか収束(終息)の見通しがたっていません。
私自身は透析導入してまもなく、SARSウイルス(重症急性呼吸器症候群)が、そしてMERSウイルス(中東呼吸器症候群)の中での透析をしました。そのときの医療体制をも目で、耳で見たり聞いたりしました。
思うところ、誰しも望むことは収束(終息)ではありますが、ウイルスや細菌は決して消えることはありません。常に隣り合わせであるし、進化しているのです。
私たちはそれらと「共存していくこと」を考えながら透析生活していくことなのだと、つくづく感じさせられたわけです。
インフルエンザだって、然りです。毎年、冬になれば予防対策(予防接種やうがい・手洗いなど)を行います。
MERSやMERSはもちろんのこと、COVID―19も同じ形で、予防対策が取れる日が来るはずです。今は何もわからないことが多いですが・・・・。
生活様式が変わりつつあります、透析生活に変化が求められるはずです。しかし、COVID―19らに負けない!
健康な人とまではいかないまでも、現に生活上の制限や成約、不都合があったとしてもQOL(=生活の質)を上げることは十分に可能です。
歳をそして透析の年月を重ねていけば、ADL(=「日常生活動作」)やIADL(日常生活の基本動作ADL(日常生活動作)に関連した、買い物・料理・掃除などの幅広い動作に及んでいくことでしょう。
今の私の考える透析生活の最適解とは「自分らしく、QOLを向上させ、時間の価値を見いだす」ことです。
つまり、QOL(=生活の質)を向上させながら、与えられた時間に価値を見いだし、有意義な1日1日を過ごしていきたいのです。
自分らしく生きる、自己実現をさせていく!