2025年10月13日

更新日: 2026年9月20日

「人工透析を受けながら働き続けられるのか?」これは、透析導入を目前にしたとき、私自身が最も悩んだテーマです。そして、その問いに、芸の道を貫きながら答えを示してくれた先人の一人が、女優であり漫才師でもあったミヤコ蝶々さんでした。蝶々さんは長年腎臓病と向き合い、「腹膜透析」という治療を受けながら、晩年まで芸能活動を続けた稀有な存在です。
透析患者というと、どうしても「制限」「通院」「疲労」といったマイナスのイメージが先行します。確かにそれは現実なのですが、それだけが透析ではありません。蝶々さんのように、病気と共存しながらも自分らしい人生を歩んだ方の生き方には、私たち現役の透析患者にとって大きな勇気とヒントが詰まっていると思うのです。
かれこれ私も血液透析歴20年超透析を行っている会社員であり、私の視点でミヤコ蝶々さんの芸能と病気そして透析の両立に迫っていきます。
「腹膜透析」という選択、その裏にある芸人魂、そして今を生きる私たち患者が学べることとは?彼女の生涯をたどりながら、透析患者としてのリアルな体験談と共にお届けします。
ミヤコ蝶々さんが人工透析を受けることになった直接の原因は、長年にわたる腎盂腎炎だったと伝えられています。腎盂腎炎とは、尿路から細菌が侵入して腎臓の内部(腎盂)に炎症を起こし、腎臓の働きを徐々に弱らせていく病気です。蝶々さんは体質的に腎臓が弱かったとされ、舞台活動を続けながら慢性的な症状と向き合ってきたそうです。
20年超透析を行っている私からすれば、蝶々さんも「だましだまし芸能生活を送ってきた」のだなあということが分かります。芸能人ですから、症状がある程度進行していても、本人がそれを”感じないようにする”努力をしてしまうんですね。私も透析導入前はひどい疲労感やむくみ、貧血に苦しみながら、それでも「まだ大丈夫」と自分に言い聞かせていました。
蝶々さんも主治医から「命を縮めますよ」と警告を受けていたにも関わらず、すぐには透析を始めなかったのは、きっと舞台への責任感が強かったからでしょう。「お客様を待たせるわけにはいかない」というそうした強い使命感が、治療開始を先延ばしにした要因だったと思います。
一方で、私の場合は約6年間でしたが、食事療法と服薬を行いながら透析の時期を延ばしてきました。しかし、心身的にもデータの値も悪くなっていけば、症状らしきものが出てきます。医師からは「もうそろそろ始めないと命に関わるよ」という言葉に背中を押されて、やっと腹を括りました。今の日本の状況では腎移植はまず望めない、無理ですと。「血液透析」か「腹膜透析」かという2択の人工透析から早々始めるという選択し、決断する。患者にとっては、就職や結婚と同様に人生の大転換の狭間に置かれてしまうわけです。私は20代後半であり目先は30歳に入っていく頃…。今まで就いている「仕事」はどうしたらよい?からはじまり、転職や病院探しも待ち構えている。一緒に住んでいる「家族」や将来の「家庭」のこと。自分の生活からはじまり、会社や家庭での役割・立場も大きく変化していくことに繋がっていくのです。
蝶々さんの選択も、決して軽いものではなかったと思います。蝶々さんは、芸能と透析の両立を選びました。これは、同じ患者として心から尊敬せざるを得ません。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 原因 | 大腸菌などの細菌が尿路から腎盂(腎臓内部)に侵入して感染・炎症を起こす |
| 主な症状 | 発熱・悪寒・腰や背中の痛み・頻尿・倦怠感 |
| 慢性化すると… | 腎臓の機能が徐々に低下し、慢性腎不全→透析が必要になるケースも |
| 治療の基本 | 抗生物質による早期治療が重要。放置・再発を繰り返すと腎機能が損傷しやすい |

ミヤコ蝶々さんが選んだ透析の治療法は腹膜透析でした。これは血液透析とは異なり、自宅や仕事先などで自分自身が透析液の交換を行う方法です。1日に3〜4回、1回あたり30分ほどの交換が必要ですが、病院への通院頻度が少なくて済むため、生活の自由度が高いのが特徴です。
私も透析導入前に医師から「血液透析」「腹膜透析」どちらを選択するかを問われ、腹膜透析についても真剣に検討しました。自分の性格(良いところや改善すべきところ)や今すぐにでも転職活動を行わなければならなかったため仕事のこと。将来できたらよいなと考えていた結婚…。とにかく、5年や10年先までの人生というものを紙に書き出していましたね。ざっくり言うと年齢的には30代。「やりたいことはないか」「実現したいことはないか」など頭のなかで思考錯誤していました。最終的に私は「腹膜透析」は選びませんでした。その理由は大きく3つあります。
| 比較項目 | 血液透析(HD) | 腹膜透析(PD) |
|---|---|---|
| 透析を行う場所 | 病院・クリニック | 自宅・仕事先など |
| 通院頻度 | 週3回(1回4〜5時間) | 月1〜2回程度 |
| 1日の手技時間 | 通院日のみ拘束 | 1日3〜4回×30分程度 |
| 感染リスク | シャント(血管)の管理が必要 | お腹のチューブ周囲の感染に注意 |
| 継続年数の目安 | 長期継続が可能 | 概ね5〜8年で効果が下がり、血液透析へ移行することが多い |
| 旅行・温泉 | 比較的制限が少ない(施設確保が必要) | 透析液・器具の持ち込みが必要。共同温泉は原則不可 |
まず、衛生管理への不安。腹膜透析はお腹にチューブを挿入して行う治療なので、常に感染症のリスクと隣り合わせです。そもそも論にはなりますが、清掃や手洗いの徹底を自己管理し続けることに自信が持てませんでした。
次に、移動や旅行の制限。私は旅行や温泉が好きなのですが、現地での腹膜透析には毎回使い捨ての透析液や交換器具が必要です。荷物もかなり大きくなりますし、現地で清潔な環境を確保しなければなりません。共同の温泉地入浴はタブーになるという点も引っかかりました。
そして最後に、最終的には、腹膜透析から血液透析に移行するケースが多い(※)という現実。腹膜透析は概ね5〜8年で機能が低下し、シャントを作って血液透析に切り替えなければならないケースが多いのです(期間が長いか短いかは個人差があると言いますが…)。腹膜透析で仕事がきちんとできるのであれば、8時間勤務だって、働いた分だけの給与も出る。残業したとて、睡眠時に腹膜透析を行えばそれはそれでメリットはあったはずです。いずれにせよ、総合的に考えて私は「血液透析」を選択し、決断しました。
※腹膜透析から血液透析へ移行するケースを選択肢としてあるのは、現在でも変わっていません。ただし、私がのように、「まず腹膜透析をして、いずれ血液透析へ」という一本道を推し進める考え方は持っていません。20年超という時代が流れましたが、今中心にあるのは、「血液透析」「腹膜透析」「腎移植」を並べて考え、本人の生活や体の状態、希望に合わせて途中で選び直すという考え方にある、ということです。このことは、日本腎臓学会の「腎代替療法選択ガイド2020」のなかでも掲げており、「治療法を比較して選ぶ仕組み」を重視しています。
一方、蝶々さんの場合は、芸能活動との両立を何よりも優先していたことから、腹膜透析の「通院が少ない」「日中に自由が利く」というメリットのほうが蝶々さんのライフスタイルにぴったり合っていたのだと思います。舞台裏でも腹膜透析もできますし、スケジュール管理、そして芸能と透析のバランス。そのすべてを一人でこなすプロの姿勢には、本当に頭が下がりますね。
ミヤコ蝶々さんが透析を受けていた1990年代末当時、日本では高齢者への腎移植は非常に限られた選択肢でした。特に蝶々さんのように70代後半から80歳にかけて透析を受けていた方にとって、腎移植は現実的ではありませんでした。
その理由のひとつが、当時の脳死移植の法整備が不十分だったことです。臓器移植法が成立したのは1997年。それ以前は生体腎移植(親族間など)のみが主流で、ドナー不足が深刻でした。加えて、高齢のレシピエント(受け手)に対しては、「手術のリスクが高い」「免疫抑制剤の副作用が心配」などの理由から、医療機関側も慎重な姿勢をとる傾向にありました。
私自身、このサイトでは何度かお話しさせていただいていますが、両親から腎移植の話をしたことはあったものの、丁重に断わったということがありました。30年超も前の透析導入時でさえ「今の日本の状況では腎移植はまず望めない、無理ですと」と言われてましたし、いつ腎移植ができるのかは、今となっても未知数。腎移植への実現こそ、夢は持っても良いと考えていますが、腎移植の普及率もさっぱりすすんでおらず、それらの情報、あまり入ってこないんですよね。
だから、正直なところ腎移植は半ば現実的な選択肢とは思っていません。もちろん、腎移植によって生活の質が飛躍的に改善する方もおられますが、私は独身でドナーもいないですし、今後も年齢が上がるにつれて感染症リスクは高くなって薬の管理も難しくなる。移植の危険性も強くなっていくんだろうなあと思っているところです。
また、私が30年超前に透析を始めた当時は、「腎移植したとしても10年持つかどうか」というのが一般的な説明でした。そこから考えると、腎移植は人工透析からの”離脱”だとか”ゴール”だということではなく、ひとつの”選択肢”であるということには間違いはありません。しかも人によっては服薬などを怠ったことで血液透析に逆戻りしてしまったといういうこともあり、裏を返せば、”リスクのある選択肢”とも言えるわけです。

| 視点 | 腎移植 | 透析(血液・腹膜) |
|---|---|---|
| 生活の自由度 | 食事・水分制限が大幅に緩和 | 食事・水分・時間の制限が続く |
| 課題・リスク | 免疫抑制剤の副作用・感染症リスク・拒絶反応 | 長期合併症(心血管疾患・骨・貧血など)への対処が必要 |
| ドナー待機 | 脳死移植は平均15〜16年待ちのケースも(2024年時点) | 待機期間なし。すぐに開始できる |
| 年齢・健康状態の制約 | 高齢・基礎疾患がある場合は適応外になることも | 高齢者でも継続可能なケースが多い |
でも、蝶々さんの場合は高年齢ながらも「舞台を続ける」という明確な目標があったことから、あえて移植に頼らず、今の体でできることをやり切るという決断をされたのではないかと思うんですよね。
透析患者にとって、治療法の選択は「命の長さ」だけでなく、「命の使い方」そのものに直結します。どの選択が正しいかは、人それぞれです。私は、蝶々さんが最期まで移植を選ばなかったことに対し、信念を持った潔さと誇りを感じます。
私は映画を観るのが好きなのですが、ミヤコ蝶々さんの演技で印象的だったのは、映画『続・男はつらいよ』で演じた車寅次郎の実母・お菊役です。グランドホテルの経営者として、寅さんに対して複雑な感情を抱きつつも温かみのある母親像を演じており、どこか切なさが滲み出ていたのを覚えています。
私はこの作品を家族でビデオを借りて見ていましたが、「この人、本当のお母さんみたいだなあ…」などと感じていたのを思い出します。同じく、第7作目となる『男はつらいよ 奮闘篇』にも出演しています。
また、私が小学生のころのTV『2時のワイドショー』という情報バラエティ番組の「夫婦110番」で見せた「鬼嫁」の演技もありました。木曜日の放送はミヤコ蝶々さんの名物コーナーで、昭和40年代以前生まれの方なら、学校から帰ってきて見てた!という人もいるのではないでしょうか。
「#2時のワイドショー」は、パネラーに #浜村淳 や #中村鋭一 、#ミヤコ蝶々 など準レギュラーにして、関西テイストでオカルトや嫁姑問題を取り上げていた。 この番組は「関西色」が強かった全国ネット番組のひとつ。 最近のテレビは「地域創生」を謳っているが、「地域色」が無くなった気がする。 https://t.co/B6RtMZOne7
— らくはく (@rakuhaku1853) June 29, 2022
小学校から帰ってきた小学生低・中学年も子どもたちからしたら、中身は濃いめ!「鬼嫁vs姑」の再現ドラマと、それを受けてレギュラー陣と語り合うという番組構成は、当時としてはとても刺激的で、家庭における”おとなの事情”をまっ昼間から扱う内容として話題を呼びました。
透析患者である私からすると、「鬼嫁vs姑」の再現ドラマであれだけ激しい感情表現をしながら、舞台やテレビに立つということは並大抵のことではないと分かります。加えて、レギュラー陣とも語り合う。体力は必要ですし、透析による倦怠感や貧血、頭痛、むくみとの闘いもある中で、プロとしての”顔”を崩さない。「根性論だ」と言えば今の時代には通じないでしょうが、自分の仕事、役割に誇りを持っていたと言ったほうがしっくりきます。
そして何より、ミヤコ蝶々さんは今でいう「ファンクラブ」。「後援会」「ファンダム」「支援者コミュニティ」などといった後ろ盾に頼ることなく、観客との「真剣勝負」に生きた人でもありました。蝶々さんとは真逆ですが、会社員である私が毎週の「仕事」と「透析」を両立させるために、上司や同僚、部下に顧客と向き合っている…。今の姿と重なります。
“誰かの支えがなくても自分で立って働き続ける”それは、透析患者にとって一番の目標かもしれません。
◎本日、7月6日はミヤコ蝶々さんのお誕生日です。 ミヤコ蝶々さんは、『ホーホケキョ となりの山田くん』でキクチババの声を担当しました。 ✨🎂HAPPY BIRTHDAY🎂✨ https://t.co/UgHQvkbkV4
— ジブリのせかい【非公式ファンサイト】 (@ghibli_world) July 5, 2025
ミヤコ蝶々さんの活動において、もうひとつ見逃せないのが、スタジオジブリのアニメ映画『ホーホケキョ となりの山田くん』(1999年公開)でキクチ家のおばあちゃん「キクチババ」の声を担当したことです。
この映画は高畑勲監督作品で、ほのぼのとした家族の日常をデジタル水彩画の独特なタッチで描いた作品となっており、蝶々さんはその中で、山田家の隣に住む「キクチ家のおばあちゃん」として、味わい深い関西弁と間で笑いを生んでいます。
公開年の1999年といえば、蝶々さんがすでに腹膜透析を受けながら活動していた時期と重なります。声優としての仕事は、舞台と違って体の動きに制約がない分、体調と折り合いをつけながら取り組める仕事だったのかもしれません。しかし、「声」だけで笑いをとるのは、それはそれで熟練の技が必要です。長年の漫才・喜劇で鍛えた間の取り方や、温かみのある大阪弁が、アニメキャラクター「キクチ家のおばあちゃん」に命を吹き込んでいました。
透析患者の視点から言えば、透析を行いながら「声」という形でも表現活動を継続するということは、非常に賢い「仕事との向き合い方」のひとつだと感じました。体への負担を減らしながら、でも芸の現場を離れない。蝶々さんの晩年の働き方は、私たち現役の透析患者にとっても参考になります。
ミヤコ蝶々さんの生き様を今に伝える媒体は、書籍やDVDをはじめ、いくつか残されています。特に、自伝『女ひとり』『蝶々女のらくがき』『蝶々のつづればなし』などは、彼女自身の言葉で語られており、その時々の苦悩や喜びがリアルに伝わってきます。
透析という観点から読むと、「ここで体調が悪かったのかな」「この時期が腹膜透析の開始後かな」と想像しながら読むことで、彼女の”生き様”がより鮮明に感じられます。
私が一番心を打たれたのは、『おもろうて、やがて哀し』という言葉。このタイトルだけで、彼女の人生観がすべて詰まっている気がしました。透析患者にとって「笑い」と「哀しみ」は常に背中合わせ。痛みもあるし、不安もある。でも、だからこそ日常に笑いを見つけたいと思う。それを芸人として体現していたのが蝶々さんだったのだと、そう感じるのです。
また、蝶々さんの記念館がかつて大阪・箕面に存在していたことをご存知でしょうか。2008年から2018年までのわずか10年間でしたが、彼女の衣装や小道具、直筆の原稿などが展示され、芸能と医療を両立したその軌跡に触れることができました。
現在は閉館してしまったのが残念ですが、書籍やDVDという形で、今でも彼女の芸と魂は生き続けています。透析患者の私にとって、彼女の生き様はまさに”先輩”としての教科書なのです。
透析というと、どうしても「生活が制限される」「仕事が続けられない」といったネガティブなイメージが先行しがちです。しかし、ミヤコ蝶々さんの人生はそのイメージを鮮やかに覆すものでした。
腹膜透析という選択をしながら、舞台に立ち続ける。観客と真剣勝負をしながら、体調をコントロールする。そんな芸人魂に、私は同じ透析患者として何度も勇気をもらいました。
私は腹膜透析ではなく血液透析を選びましたが、その選択には正解も間違いもありません。大事なのは「どう生きるか」。蝶々さんが私たちに教えてくれたのは、病気と闘いながらも、自分らしく、誇り高く生きることの尊さでした。
そして今、透析と向き合いながら働く私も、蝶々さんの背中を追いかけるように、日々を全力で生きています。芸能人か会社員かは関係ない。透析患者として、どう人生を設計するか──それが、彼女から受け取った最大のメッセージだと私は思います。