2025年10月6日

更新日: 2026年10月13日

東京ダイナマイト・ハチミツ二郎さん。芸人として笑いを届け続けた彼は、私と同じ年代です。このサイト腎者エールではいくつかの芸能人や著名人を紹介していますが、彼の場合はかなり障害の程度が重いと感じます。
今、彼は車椅子で人工透析を受けながらも、一人娘を育てるシングルファーザーとして毎日を生きています。足を失い、健康を失っても、決して失わなかったもの——それは「父親」としての覚悟と、娘への深い愛情でした。
この記事では、そんなハチミツ二郎さんの壮絶で、そして温かい”今”を、丁寧に紐解いていきます。
まず、ハチミツ二郎さんの主な病歴をタイムラインで整理します。透析患者の目から見ても、これほど多くの病が連鎖した例は珍しいと感じます。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 30代後半〜40歳前後 | 健康診断で血糖値・HbA1c値(=過去1~2ヶ月前の血糖値)の異常が指摘される。本人は「糖尿病をなめていた」と後述 |
| 2018年7月 | 急性心不全・呼吸不全で入院。テレビ収録中に意識を失う |
| 2020年末 | 新型コロナウイルス感染症で重篤化。8日間の昏睡状態に。延命目的で人工透析を開始 |
| 2023年3月 | 母親をドナーとした腎移植手術を受けるも失敗。本人「医者に失敗って言われた」と公言 |
| 2023年8月 | 左大腿会陰部筋肉内膿瘍および敗血症性ショックで入院。3度の手術 |
| 2024年3月 | 東京ダイナマイトの活動休止を発表 |
| 2025年9月 | 糖尿病性足病変の進行により緊急入院。左足膝上からの切断手術を受ける(右足は温存) |
| 2025年10月5日 | 有吉弘行さんのラジオ「有吉弘行のSUNDAY NIGHT DREAMER」で切断手術が公表される |
「なぜ糖尿病から足切断まで進んでしまうのか」——透析患者として、これは他人事ではないので少し掘り下げます。
糖尿病が長年続くと、末梢の血管(細い血管)が徐々にダメージを受けます。これを「糖尿病性血管症」といいます。特に足先・足の甲・すね周辺の血流が悪くなると、ちょっとした傷が治らず、組織が壊死(えし)してしまう「糖尿病性足病変」が起こります。
透析患者はさらに血流が悪くなりやすく、免疫力も低下しているため、壊死の進行が健康な人より格段に速いのが現実です。
| 段階 | 何が起こるか |
|---|---|
| ①高血糖が続く | 血管の内壁が傷み、末梢の細い血管が詰まりやすくなる |
| ②神経障害が起こる | 足の感覚が鈍くなり、傷ができても気づきにくくなる |
| ③傷が治らない | 血流不足・免疫低下で小さな傷が感染し、壊疽(えそ)へと進行 |
| ④切断が必要になる | 壊死が広がり全身への感染を防ぐために切断という選択を迫られる |
ハチミツ二郎さんの場合、長年の糖尿病に加え、2020年以降の人工透析による血流障害、さらに2023年の腎移植後の免疫抑制状態、膿瘍・敗血症の経験が重なりました。複合的なリスクが積み重なった末の、やむを得ない決断だったと言えます。
なお、本人のnoteやメディアの報道によると、右足の温存には成功したことも明かされており、「これで済んだ」と前向きに受け止めている姿が伝わっています。
ハチミツ二郎さんの人生が大きく変わったきっかけ——それは新型コロナウイルス感染症でした。感染したのは、まだ社会全体がコロナに対する知識も備えも不十分だった2020年末のことです。
(このサイト腎者エールでも、当時はかなり神経質になって発信していました。コロナ第1波の際の”誰も経験したことのない状況”、国から出された「緊急事態宣言」は強烈でした。)
当時は、病院側も明確な治療方針がなく、混乱の中で救急搬送された彼は、外の処置室で全身麻酔をかけられ、そのまま8日間も昏睡状態に陥りました。
目を覚ましたときには首にチューブ、腕や足には点滴の管が無数に刺さっていたといいます。「透析だって聞かされた時は、本当に驚いた」と語る彼。意識がない中で、奥さんが「延命治療のために」と決断を下した透析治療が、そこから一生続くものになるとは、その時は誰も思っていなかったのです。
透析治療とは、本来なら腎機能が著しく低下したときに行われる命を繋ぐための手段。しかし、ハチミツさんの場合、コロナによる重篤な症状で判断力がなかった中、延命の名目で始まってしまいました。「透析って一度始めたら一生やめられないんですよ」と語る彼の口調は、正しくその通り。「今日にも透析導入を決断しなければならない」といった心境そのものであり、その深い無念さと、現実を受け入れた決意の両方がにじみ出ていました。
(ただですね、「かなりの酒豪である。一時期は毎日10リットル以上ビールを飲んでいた」ということもあったようで、芸能界の打ち上げや付き合いはあるにせよ、食事も含めてどうだったのか。一般人には分からない感覚ですが、糖尿病への影響がなかったとは言いにくいです。)
後に医師から「本来ならまだ透析を始めるほどの数値じゃなかった」と告げられたこともあったそうですが、それでも彼は責めることなく、むしろ奥さんや医師に「命を繋いでくれてありがとう」という気持ちを表していたのではないでしょうか。この心の広さと前向きさこそ、ハチミツさんが人々から愛される理由だと思うのです。
透析は週3回、1回あたり4〜5時間。終わった後は疲れ切って動けない。それでも、彼は毎回通院し、治療を受け、家に帰れば父としての役割を果たしています。まさに「生きることを選んだ男」の姿です。
透析から解放されるため、ハチミツさんは腎移植に望みをかけました。最初は奥さんがドナーになる予定でしたが、その後、奥さんの不倫や育児放棄が発覚し、離婚。最終的には彼の母親がドナーとなって2023年3月に手術を受けることになりました。
(腎移植できる状況にあることは、正直うらやましい。腎移植を待っている患者がいるわけですが、20年超透析を行っている私には、そのお声がけすらないです。順番ですし、費用もかかりますから。それが日本の腎移植の現実……なかなか変わりませんね。)
しかし、腎移植は”失敗”に終わってしまいました。ネット上では「適合しなかっただけ」との声もありましたが、彼自身は「医者に失敗って言われたんだ」と真実を語ります。「知らない人間がとやかく言うなよ。本当に悔しいんだ」と吐き出す彼の言葉には、想像を絶する苦しみと怒りが込められています。
コロナによる昏睡と人工透析の開始後、彼の体には数々の後遺症が残りました。特に深刻だったのは「左手がうまく動かなくなったこと」。細かい動きができず、日常の作業ひとつひとつに苦労するようになりました。
また、2023年8月には「左大腿会陰部筋肉内膿瘍および敗血症性ショック」という命に関わる症状で再び入院。3度にわたる手術を受けたものの、数値は改善せず、「もう治らないかもしれない」とX(旧Twitter)に弱音を漏らすほどでした。
そして2025年9月——糖尿病と透析による血流障害が招いた足の壊死が進行し、左足を膝上から切断するという、さらなる現実を突きつけられました。それでも彼は前を向き続け、同じく病に苦しむ人々に向けて「生きていること自体が価値なんだ」と発信を続けています。
ハチミツ二郎さんは現在、電動車椅子を使いながら、娘の送り迎え、買い物、料理とすべてをこなす日々を送っています。SNSではその姿が公開されており、「折りたためる電動車椅子で、5時間充電すれば20キロ走れる」と軽やかに語る姿が印象的です。
一方で、バスに乗れず運動会に行けなかった悔しさもあり、「初めて分かった」と語る交通インフラの課題にも言及しています。障害当事者にならないと気づけない問題が、日常のあちこちにある——それを彼は発信し続けています。
ハチミツさんは体が不自由になっても、娘との時間を第一に考えています。足を失っても「父であること」は止めない。体の一部は失っても、父としての使命感と愛情は一切揺るがないのです。
ハチミツ二郎さんは週に3回、人工透析を受ける生活を送っています。これは単に病院での数時間の処置というだけでなく、体に大きな負担がかかるもの。透析後はフラフラになり、立っているのもやっとという状態になることも珍しくありません。それでも彼は、自分が父であること、娘を育てる責任があることを絶対に忘れません。
彼の一日は透析と家事育児・教育に追われます。病院から帰ってきて、その足でスーパーに立ち寄り、夕食の材料を買い、自宅で調理。時には弁当も作り、翌日の準備までをこなします。「家で食べたい」と願う娘の言葉に応えるため、彼は自分の体がどれだけつらくても、毎日欠かさず台所に立つのです。
しかもただ料理をするだけではなく、娘にも食材の買い方や調理の基本を教え込んでいるというのです。「14歳で自立できるように」と、時間と体力を削ってでも娘に生活力を身につけさせようとしています。
「365日、必ずご飯を作っている」——ハチミツ二郎さんが語ったこの言葉には、父としての強い覚悟が込められています。(これにはびっくりしました。)世の中には外食や冷凍食品で済ませる家庭も多い中で、彼は必ず手作りの料理を娘に提供しています。
もちろん、それは簡単なことではありません。週3回の透析後は体が思うように動かず、時にはフラフラのまま台所に立つこともあるそうです。それでも「娘が家のごはんを一番おいしいと言ってくれるから」と笑って話します。
また、彼は料理を通じて娘に”自立”を教えているとも言います。スーパーでの買い物に連れて行き、メニューを一緒に考え、料理の手順も一から教える。子どもがただ食べるだけでなく「作る喜び」まで共有できるのは、家庭ならではの特権です。
彼の料理には、”うまさ”だけでなく、”生きる力”が込められているのです。父から娘へ、愛情と技術が受け継がれていく——その姿は、まさに現代における”家庭の教室”です。
ハチミツさんが作るお弁当には、ちょっと変わったポリシーがあります。それは「野菜を一切入れない」というもの。彼は「大人の弁当だって野菜なんて入ってない。野菜は給食と晩ご飯でカバーすればいい」と笑いながら語ります。
https://t.co/tCje1V9ExF
— ハチミツ二郎 (@tokyodynamite) September 10, 2026
インスタグラムやXに投稿されたお弁当は、確かに”茶色と黄色”が中心。からあげ、卵焼き、ウインナーなど、子どもが好きなものばかりが並んでいます。見た目の派手さや栄養バランスよりも、娘の「おいしい!」という一言を大切にしているのです。
透析患者なら分かりますが、「生」がつくものは特に注意が必要ですよね。生野菜、生果物、生魚……。あとはじゃがいもやさつまいもといった根菜も。カリウムの問題があります。ハチミツさんのお弁当の”こだわり”には、透析患者としての食事管理も自然と組み込まれているように見えます。
晩ごはんではしっかりと野菜を摂る工夫もしており、そこには父としての計算と優しさがあります。健康面への配慮と、娘の「好き」に寄り添う姿勢。この”こだわり弁当”は、ただの食事ではなく、二人だけの”信頼の象徴”と言ってもいいかもしれません。

お笑いコンビ「東京ダイナマイト」の一員として、ハチミツ二郎さんは数々の舞台に立ち続けてきました。しかし、2024年3月、ついに「漫才師としての活動休止」を決断します。それは単なる芸人活動の終息ではなく、「父として娘のために生きる」ことを優先した決意の表れでした。
「THE SECONDが終わったら休むつもりだった。もし優勝しても、次の日から活動は止めていた」と語る彼の胸中には、漫才を愛する気持ちと、家族を守りたいという願いの間で揺れる葛藤がありました。それでも、彼は「もう舞台には立てない」と潔く一線を引きました。
笑いを届けることに人生を捧げてきた男が、家族のために降りた”最後の舞台”。それはきっと、彼にとって”人生最大のツッコミ”だったのかもしれません。
表舞台では笑顔を絶やさず、堂々と立っていたハチミツ二郎さん。しかし、楽屋裏ではまったく違う姿がありました。病院で点滴を受けてからその足でテレビ局へ直行、舞台袖で「もう辞めたい」とマネージャーに何度も漏らしていたといいます。
電動車椅子での移動、体に負担のかかる漫才の動き、そして何よりも「思うように体が動かない」現実。その全てが、芸人としての彼を少しずつ追い詰めていきました。
かつては大勢の観客の前で笑いを取ることが彼の生きがいでした。しかし今、彼が一番笑わせたい相手はたった一人の娘なのです。
「娘が泣いていたから、なるべく毎日一緒にご飯を食べて、笑わせるようにしてたんです」と語るその姿には、かつてのテレビスターではなく、”父”としての素顔が浮かび上がります。
ご飯を一緒に食べること、テレビを見ながら冗談を言い合うこと。それは舞台とは違うけれど、もっと大切な”自分だけの舞台”なのかもしれません。そこには観客はいなくても、彼にとって一番大事な「拍手」が、娘の笑顔として返ってくるのです。
「お父さん、16歳まで生きて」。この言葉を娘に言われた瞬間、ハチミツさんはすべてを悟ったといいます。「平均寿命が16年の人工透析だけど、俺はその半分の5年の方だ」と感じていた彼にとって、その”延長戦”がどれほど重く、そして尊いものか。
(まだ5年だ!10年に向かって生きよう。私はそう、ハチミツさんに声かけたい。)
彼は今、「14歳までに娘を自立させる」ことを目標にしている、と話しています。だからこそ、料理や生活の知識を教え込み、「父がいなくなっても生きていける娘」を育てることに全力を注いでいます。
命に限りがあるからこそ、残された時間の価値は計り知れません。娘の「16歳まで生きて」という願い。それはただの数字ではなく、父と娘の”約束”なのです。

ハチミツ二郎さんがシングルファーザーとして娘を育て始めたのは、彼女がわずか8歳の時でした。離婚の背景には奥さんの不倫や育児放棄という、耳を疑うような現実がありました。
娘には最初、離婚のことを伏せていたそうですが、子どもは敏感です。夫婦喧嘩の声を聞き、ドアの隙間から様子をうかがっていた娘は、ついに「なんで離婚したの?」と聞いてきたといいます。9歳のときには泣きながら「離婚届なんか破ればよかった」「私が止められなかった」と叫んだというエピソードには、多くの人が胸を打たれることでしょう。
それでも娘は、「父についていく」でも「母についていく」でもなく、「私は家に残る」と言いました。”家族”という形を守りたかった、幼いながらに強い意志を持った決意の表れでした。この一言が、ハチミツさんの支えとなり、シングルファーザーとしての道を歩む原動力になったのです。
この”8歳の決意”があったからこそ、彼は今も倒れずに前を向いていられるのです。
最近のハチミツ二郎さんの娘は、TikTokやYouTubeなどの動画制作に夢中になっているそうです。驚くことに、彼に内緒でユーチューバーとして活動していた時期もあり、半年で45万再生を記録したこともあるというから本格的です。
動画制作のノウハウはすべてYouTubeで独学。さらに、最近はショート動画を中心にTikTokに移行し、デザインや編集も自ら手がけているとのこと。レジンやホットグルーガンといったクラフト素材にも興味を持ち、自分でアイテムを作っているという話からも、彼女がクリエイティブな才能を持っていることが伺えます。
これはまさに、東京ダイナマイトのネタをすべて自分で作ってきた父親譲りの感性かもしれません。娘が45万再生を記録したときも、「これはすごい、俺より才能あるかもな」と嬉しそうに語っていたのが印象的です。
人工透析を続けながらの生活の中で、ハチミツさんは「自分の命の期限」を現実として見つめています。そして、娘にはこんな言葉を伝えています——「俺が死んだら犬を飼って、”二郎”って名前をつけなさい」と。
最初、娘は嫌がったそうです。「そんなの嫌だよ」と泣きながら拒否したこともあったといいます。しかし、父はこう続けました。「泣いてばかりいられない。生きていくには強くならなきゃいけない」と。
これは決して悲しい話ではありません。むしろ、限りある命の中で、子どもに”生きる力”を継承する、究極の愛の形なのです。
ハチミツ二郎さんの生活は、一般的な”病人”のそれとはまったく違います。人工透析、足の切断、車椅子生活という重たい現実の中でも、彼はシングルファーザーとして娘を育て続けています。週3回の透析があっても、弁当を作り、夕食を作り、娘の生活を支えることを何よりも優先しています。
体が動かないときも、フラフラでも、それでも娘のために”今日”をこなす。そこにあるのは、病気に負けないという強さではなく、「娘に恥ずかしくない父でいたい」という、ただひとつの信念です。
「家に帰るとフラフラ。でもご飯を作らなきゃいけない。だから笑うしかないんですよ」。この言葉は、彼の生き方を象徴しています。毎日が限界。それでも彼は笑顔を忘れません。むしろ、笑いこそが彼の”武器”であり、”防具”でもあるのです。ずっとお笑いで、芸能活動してきたのですから!それが今、娘に向いている。
舞台ではなく、家庭という小さな舞台で、彼は娘を笑わせ、安心させる。どんなに体がつらくても、それを悟らせないように努める姿勢は、まさに芸人魂と父親としての誇りの融合というべきでしょう!
20年超透析を行っている私が、ハチミツ二郎さんのことを読んでいて強く感じることがあります。
透析に至る原因疾患の第1位(2023年末・日本透析医学会統計で39.5%)糖尿病を長年軽視してしまうことで、腎機能の低下・透析導入・腎移植失敗・足病変・足切断という連鎖が起こりえる、という現実です。
「糖尿病をなめていた」と彼自身が語るように、糖尿病は初期にはほぼ自覚症状がないまま全身の血管をじわじわと傷め続けます。その怖さを、ハチミツさんの病歴は改めて教えてくれます。

| リスク | 具体的な影響 | できる対策 |
|---|---|---|
| 血糖管理の乱れ | 透析患者は低血糖・高血糖いずれのリスクも高い | 定期的な血糖測定・食事管理 |
| 足のケア不足 | 神経障害で傷に気づきにくく、血流不足で壊死が進む | 毎日足の状態を確認。小さな傷でも早めに受診 |
| 感染リスク | 透析患者は免疫力が低下しており、感染が急速に悪化しやすい | 傷口・穿刺部の清潔を保つ |
| 飲酒・生活習慣 | 過度な飲酒は血糖コントロールを乱し、腎機能にも影響 | 節酒・禁酒。生活習慣の見直し |
ハチミツ二郎さんの人生は、決して平坦ではありませんでした。芸人として成功しながらも、病気と向き合い、人工透析を受けながら足を切断し、車椅子での生活を余儀なくされました。それでも彼は、娘のために生きる道を選びました。
8歳で母親がいなくなり、父と二人で生きていくことを選んだ娘。その健気さと強さが、ハチミツさんを支えています。毎日作る手料理、お弁当、そして笑顔。どれもが”生きている証”であり、”父親としての誇り”そのものです。
彼は芸人である前に、ひとりの父であり、ひとりの人間です。誰かのために生きるということの意味を、彼の人生が教えてくれます。
私とは年代が同じですけど、本当に生き方が違っている。ハチミツ二郎さんに会ってみたいと思いますね。
