2026年6月15日


バブルガム・ブラザーズのブラザー・コーンさんといえば、『WON’T BE LONG』を思い出す方が多いのではないでしょうか。私もその一人です。そして、彼が腎不全を患い人工透析を経験し、さらには妻から腎臓の提供を受けて移植手術を受けたことを知ったとき、同じ透析患者として、羨ましくも思いました。
私は20代後半で透析を始め、以来20年以上、治療と向き合いながら会社勤めを続けています。透析生活は、時間も体力も精神面も大きく制限されるものです。そんな中、ブラザー・コーンさんのように病気を乗り越えて音楽という表現の場に再び立ち上がった方の姿を見ると、「まだ自分もやれる」と勇気をもらえるんですよね。
この記事では、芸能人という枠を超えて、ブラザー・コーンさんの闘病と復活、そしてその後の音楽活動を、同じ透析患者である私の視点で丁寧に追っていきます。生きる力を失いかけた人が再び歩き出せる——そんな”再生の物語”を一緒に見つめていきましょう。
腎臓の病気は、長い時間をかけて進行することが多いものです。私自身も、透析導入前の数年間は現場で働きながら食事療法や服薬を続けていました。それでも何となく体調が不安定で、倦怠感やむくみが続き、「仕事疲れだろう」と思い込んでいたのです。気づいたときには腎臓の機能が大きく落ちていて、透析は避けられない状態になっていました。
ブラザー・コーンさんも、2002年に腎不全と診断されたそうです。診断された時点ですでに40代後半で、医師からは「余命3〜5年」と宣告されるほど状態が悪化していたといいます。音楽活動の真っ只中でそんな現実を突きつけられたとき、どんな気持ちだったかを思うと、胸が締め付けられます。
さらに彼は、料理やボウリングを趣味とし、手話3級の資格を持つ多才な方でもあります。日々の生活や人との関わりを大切にしてきた方だからこそ、病と向き合う苦悩もまた大きかったのではないでしょうか。
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 2002年 | 腎不全と診断。人工透析を開始(約3年間) |
| 2005年 | 妻・佳子さんから腎臓の提供を受け、移植手術に成功 |
| 2006年 | 前立腺がんを患う |
| 2008年 | ブラザー・トムさんと再会。バブルガム・ブラザーズ再結成 |
| 2022年 | 自叙伝的アルバム『魂信。〜My Life is in Destiny〜』リリース |
| 2023年 | 乳がん(ステージ2)を公表。手術後に芸能活動を再開 |
| 2024年 | 「LAST LIVE vol.1 〜じじいが街にやってくる!〜」を開催 |
「余命3〜5年です」と医師から言われた瞬間、頭の中が真っ白になる——これは他人事ではありません。私が透析導入を勧められたときも、「まだ若いのに、もう治療が必要なのか」と呆然としました。
透析というのは、ただの治療ではありません。週3回、1回4〜5時間を機械につながれて過ごす生活が、一生続く可能性があるということです。私は透析導入の初日、透析室の天井を見上げながら「本当にこれから自分の人生は大丈夫だろうか」と、不安しかありませんでした。
ブラザー・コーンさんは、その状態から透析を選択しました。音楽活動ができなくなることを受け入れ、命を守るための決断をしたのです。同じ患者として、強い尊敬を覚えます。
私が透析を始めたばかりの頃は、療養しつつも転職活動と事務職に就くための資格取得に励んでいました。でも今振り返れば「失われた10年」の真っ最中。夜間透析を選んだ私の場合、翌日の午前中は体が鉛のように重く、頭がぼーっとする日も多かったです。
音楽活動のように、集中力と体力を同時に求められる仕事であれば、その影響はさらに大きかったことでしょう。ブラザー・コーンさんは「仕事のほとんどを失った」と語っています。歌いたくても歌えない日々が続いたのではないでしょうか。それでも彼は、自分の本質である”音楽”を心のどこかで手放さなかった。透析患者にとって「夢を諦めないことの大切さ」を教えてくれる姿勢です。
私が透析を始めたとき、主治医から「将来的には腎移植という選択肢もあります」と言われました。しかし実際には移植に必要な条件は多く、現実的に実行に移すのは簡単ではありません。20年以上が経った今でも、あまり状況は変わっていないのですが……。
ブラザー・コーンさんも、透析を始めた当初は移植の話をまったく聞かされていなかったそうです。彼が腎移植について知ったのは、テレビ番組を通じてだったということです。「選択肢があることを知ること」がいかに重要か——コーンさんの体験がそれを物語っています。
透析は確かに自由と時間を奪うものです。でも、それだけで人生が終わるわけではありません。私自身、20年以上の透析生活を振り返ってみて、日常の中に喜びを見つけることの大切さを知りました。「透析時間の中で、何ができるか?」を考え続けているからです!
ブラザー・コーンさんは、透析生活の中でも音楽への情熱を失わず、その後の腎移植によって復帰を果たしました。体が思うように動かなくても、気持ちを保ち続けることができれば、人は前に進める——彼の姿からそう学ばされます。
透析をしていると、体力だけでなく気力も削られていきます。治療から来る疲労感や時間的拘束の中で「もう何もできない」と感じてしまうことは、私自身、何度も経験してきました。そんなときにどう自分を保つか——これは本当に大きなテーマです。
ブラザー・コーンさんは、透析中であっても音楽を諦めませんでした。「音楽ができなくなるのが一番嫌だった」と語っています。透析生活に慣れてくると、あれこれ言い訳をして”諦め癖”がついていませんか? 病気は体だけでなく心を試してきます。でも「これだけは守りたい」「譲れない」というものがある人は、きっと強くいられるのだと思います。コーンさんにとって、それが”音楽”だった。私も「絶対に失いたくないもの」は何なのかを、あらためて見直すきっかけになりましたね。
透析を続けていると、家族や周囲の支えがどれほど大切かを痛感します。私は独身で一人暮らしのため、体調管理も通院もすべて自分でこなします。それでも生活は成り立ちますが、やはり誰かの存在が心のよりどころになるというのは、想像以上に大きな意味を持つと感じています。
ブラザー・コーンさんには、妻・佳子さんという大きな支えがありました。彼女は迷いなく腎臓の提供を申し出たといいます。血液型が違っていても、医療技術の進歩によって移植が実現したのです。臓器提供は、身内であっても簡単に決断できることではありません。それを即決できる関係性と信頼が、そこにはあったのだと思います。
コーンさんが「命の恩人」と語るように、その感謝は一生ものです。私自身も、透析導入のころに腎移植の話を医師や両親としたことはありました。でも結果的に人工透析を続けることを選び、お断りしました。それが今の私の選択です。家族の支えを当たり前と思わず感謝すること——それが病気を乗り越えるための大きな力になるのだと、コーンさんの姿から教えられました。
透析生活が長くなると、自分が”社会の外側”にいるような感覚に襲われることがあります。透析中に会社の飲み会で同僚がガヤガヤと騒いでいると思うと、何となく悔しい思いをしたことも正直ありました。
でも、透析をしていても人とのつながりを持ち続けることは十分可能です。腎友会に参加するのも良いですし、透析日を調整しながら好きなミュージシャンのライブに行ってファン同士ではしゃぐのも大いにあり! 形はなんでもよいと思います。ブラザー・コーンさんにとって、そのつながりは”ファン”でした。復帰後のライブでは観客からの声援が心の支えになっていたと語っています。透析中も、ファンの声が彼にエネルギーを与え続けたのでしょう。
私自身も、透析患者の視点でブログを書くようになってから、読者の方から「励まされました」という声をいただくことがあります。それが、自分の生活を支えてくれる原動力になるんです。コーンさんとファンとの絆には、そんな”生きる力の循環”があったのではないでしょうか。
人は誰しも、自分を表現したいという欲求を持っていると思います。私にとってはそれが文章を書くことだったり、ちょっとしたSNSの投稿だったりします。ブラザー・コーンさんにとって、それは”音楽”という形で明確に表れていました。
透析生活は、ともすると自己表現の場を奪われがちです。でもそうした状況の中でも表現することをやめなかったコーンさんの姿には、強い意志を感じます。彼は透析中も曲作りを続け、腎移植後にはライブ活動も再開しました。「病気を抱えていても、何かを伝えられる」ということを、その一つひとつの行動で証明してくれています。自分の気持ちを発信する——それが小さな”生きる力”となって返ってくることを、私も実感しています。
透析患者として、ブラザー・コーンさんの言葉や活動には「あの人も同じ痛みを感じていたんだな」と思わせられる瞬間がたくさんあります。透析をしながらの生活の厳しさ、移植に至るまでの不安、人前に立つことへのプレッシャー——それらは私たち患者にとって決して特別な話ではなく、むしろ”あるある”なのです。
そうした”患者としてのリアル”を語る芸能人は、決して多くはありません。自分の弱さや辛さを見せることは、イメージに関わることでもありますから。だからこそ、コーンさんのように率直に語ってくれる存在は本当に貴重だと感じます。彼のような方が前線で活躍してくれることで、「透析をしているからといって夢を諦めなくてもいい」と思える人がきっとたくさんいるはずです。私もその一人です。
透析を続けていると、「この生活はいつまで続くのだろう」「本当に終わりはあるのか」と考えることがあります。私自身も20代後半から透析を始め、気づけば20年以上。腎移植については身内からの提供をお断りしましたが、それでも希望は持っています。ただ「移植の順番はいつ来るの……」という現実のハードルがあって、なかなか前向きになれないのも正直なところです。だから「人工透析の時間をどう過ごすか」を考えてしまうんですよね。
そんな中、ブラザー・コーンさんの「妻が迷わず腎臓を提供してくれた」というエピソードを初めて知ったとき、心から感動しました。臓器提供は家族だからといって単なる「協力」ではありません。命を分け合う行為そのものです。愛する人のためにそれを即決できる——その愛の深さと信頼関係の強さは、言葉では言い表せません。
特に印象的だったのは、奥様・佳子さんとブラザー・コーンさんの血液型が異なっていたにもかかわらず、移植が実現したことです。「血液型が合わなければ移植は難しい」というイメージが日本では根強く残っていますが、実際には「血液型不適合移植」も医療技術の進歩によって可能になっています。コーンさんのように芸能人がそれを実体験として発信してくれたことで、患者やその家族に「新たな選択肢がある」ことが広く伝わるようになったと思います。「血液型が違っても可能性がある」と知ってからは、将来に対する見方が少し変わりました。
透析をしていると「移植したらどう変わるのだろう」とどこかで思いを巡らせることがあります。プラス思考で考えれば——「自由に旅行ができるようになったなら」「自由に食事が摂れるようになったなら」「透析室への通院がなくなったら、自分はどんな気持ちになるだろう」と。
ブラザー・コーンさんは2005年に妻から腎臓の提供を受け、移植手術に成功されました。その後、徐々に音楽活動を再開し、テレビにも復帰。透析中には難しかった「長時間のパフォーマンス」や「移動を伴う仕事」なども可能になっています。これは透析生活に慣れ切っていた私にとって、正直驚きであり衝撃でした。「最近ずっと見かけなかったなあ」という目でしか見ていなかったからです。
ただ、移植によってすべてが楽になるわけではないことも理解しています。免疫抑制剤の服用、拒絶反応への不安、感染症のリスク——そうした新たな課題もあるはずです。それでも、透析を終えるという選択肢が現実のものとなった人の姿を見ることで、夢や希望が”具体的な目標”に変わっていくのです。
ブラザー・コーンさんにとって奥様はまさに「命の恩人」であり、その存在が彼の人生を根底から支えています。移植というのは単に「病気を治す」ことではなく、「人と人とのつながり」を深める機会でもあるのだと思います。
彼がその後、自叙伝的なアルバム『魂信。〜My Life is in Destiny〜』(2022年)をリリースしたことも、自分の人生をあらためて見つめ直して表現したいという気持ちの現れだったのかもしれません。私も20年以上の透析生活を通じて「自分の生き方」や「周囲との関係性」について考える時間が増えました。コーンさんが新たな人生を歩み始めたように、私もこの先50代、60代とそれぞれの年代の中で「前に向かって歩く決意」をスタートさせます!
移植を経て、ブラザー・コーンさんが発表した代表曲のひとつが、2008年の『Daddy’s Party Night 〜懲りないオヤジの応援歌〜』です。この曲を初めて聴いたとき、私は正直笑ってしまいました。でも、それはバカにした笑いではありません。ユーモアに包んで語られる”生き抜いた男の本音”に、強く共感したからです。
曲には「懲りないオヤジ」が前向きに生きる姿が描かれています。人生のどん底を経験しても、そこで終わらない。もう一度笑って進んでいく。透析や移植の経験を持つ人間にとって、こうした前向きな姿勢は何よりも心に響きます。当時コーンさんのように「病気を経験したことも自分の一部として受け入れる」という考え方に触れることができたなら、気持ちがふっと軽くなっていたかもしれない——そう思います。
ブラザー・コーンさんのソロアルバム『Re.KORN』に収録された『ぎりぎりじゃなくちゃ』も、非常に印象深い一曲です。タイトルを見たとき、「まさに今の自分のことを歌っているのか?」と思ったほどです。
透析患者の生活は、常に”ぎりぎり”の連続です。体調、時間、仕事、人付き合い——すべてが制限される中で、自分なりのバランスを保ちながら前に進んでいかなければなりません。この曲は、そうした”張り詰めた毎日”を送る人々への応援歌だと思います。
コーンさんは腎不全・透析・移植だけでなく、前立腺がん、乳がんと、多くの試練を経験されてきました。それでも音楽を通して「苦しかったけど、それも俺の人生」と語ってくれます。「限界だからこそ、自分の本当の力が出る」というメッセージが込められていて、私にはとてもリアルに感じられました。
1991年の大ヒット曲『WON’T BE LONG』は、言わずと知れたバブルガム・ブラザーズの代表曲です。私が高校生の頃あのリズムに心を躍らせ、カラオケでも何度も歌った記憶があります。あの頃は、まさか自分が将来透析をするとは想像もしていませんでした。腎移植を受けたコーンさんが復帰ライブでこの曲を再び歌っている姿を見たとき、涙が止まりませんでした。まるで彼自身の再生と重なるように、その歌声が輝いていたからです。
私自身も透析をしていると「以前のようにはできない」と思い込んでしまうことがあります。でも、コーンさんのように「再び輝ける瞬間は必ず来る」と信じることが、今の私の心の支えになっています。
ブラザー・コーンさんの楽曲には、妻・佳子さんへの感謝の気持ちが、言葉ではなく”音”や”表現”としてにじみ出ているように感じます。言葉で「ありがとう」と伝えるのは簡単かもしれません。でも、それを歌やパフォーマンスとして表現し続けることは並大抵のことではありません。彼の歌声には”命の重み”が込められていて、それが多くの人の心を打つのだと思います。
移植後のブラザー・コーンさんが出演したライブの記事で、私が特に心を動かされたのは、ファンとの合唱シーンでした。曲は『WON’T BE LONG』。観客と一体になって歌う彼の姿には、「生きていることの喜び」そのものが写っていましたね。
観客の「おかえりー!」という掛け声に、コーンさんが「ただいまー!」と応えた瞬間。その一言には、透析・移植・病気との闘いを乗り越えた人間としての重みがありました。そして、それを温かく迎えるファンとの絆もまた、コーンさんの”もうひとつの命”を支えているのだと思いました。私もまた、透析を続けながら自分なりの「ただいま」が言える場所を見つけたい。そう思わせてくれました。いつになるのか!?
1997年、バブルガム・ブラザーズとしてのデュオ活動は休止となります。ブラザー・コーンさんとブラザー・トムさんが再会したのは、2008年のある日——偶然、街でばったり出会ったことがきっかけだったそうです。お互いが病気を乗り越えたタイミングだったというのも運命的でした。心筋梗塞から復帰したトムさん、腎移植を経て復活したコーンさん。ふたりの「奇跡の再会」から、バブルガム・ブラザーズの再結成は始まりました。
このエピソードを知ったとき、「本当に人生って何があるか分からない」と思いましたね。街でばったり出会ったって何よ! 透析をしていると、自分の未来に希望を持つことが難しくなる瞬間があります。でも、こうして人生の節目に予想もしない出会いやチャンスが訪れることがあると知ると、「今はつらくても、この先には何かある」と信じる力になります。
再会後のふたりは『Daddy’s Party Night 〜懲りないオヤジの応援歌〜』で復活を告げ、再びライブ活動を開始しました。病気を経た者同士が「もう一度やろう」と手を取り合ったその姿に、希望以上の”覚悟”を感じました。
透析や移植といった経験は、以前の私は「人前で誇れるような話ではない」と思っていました。弱さや苦しみを見せることは、どこか恥ずかしいことのように感じていたのです。でも、ブラザー・コーンさんはそのすべてを隠すことなく語り、表現に昇華しています。
特に印象的だったのは、彼が自身のことを「病気のデパート」と笑いながら話していたことです。腎不全、前立腺がん、乳がんと、幾度もの病気を乗り越えてきたにもかかわらず、その経験をネガティブに捉えるのではなく「今の自分をつくったもの」として受け入れている姿勢に、強い誇りを感じました。
私自身、透析患者であることを必要以上に隠したくなってしまうときがあります。転職活動や婚活の中で「言えなくなる場面」がありましたから。でも、コーンさんのように堂々と自分の歩みを語る姿を見て、「自分ももっと自分を誇っていいのではないか」と。特に20代、30代の若かったころはそう感じましたね……。年齢を重ねれば確かにガタは来る! でも、それも込みで”自分の人生”なのだと思えるようになってきました。
透析・移植という経験を経た方が再びステージに立つ——それだけでも感動的ですが、ブラザー・コーンさんのライブは”観客との絆”が加わることで、さらに深い意味を持ちます。ライブという空間は、「今、この瞬間を生きている・共有している」ことを実感できる場です。透析をしていると、日々の体調管理が優先されてなかなかそうした感覚を得ることができません。私もなるべく年1回以上は、某アーティストのライブに参加するようにしています!
コーンさんは、移植後も健康には気を遣っておられるそうです。年齢とともに体力は落ちていくものですが、それに合わせてライブの構成や演出も変化しています。最近では、体調を考慮して”アンプラグド形式”でのライブを行うなど、無理のないスタイルで音楽を届けています。
私も20年超の透析歴となって、「若い頃と同じペースでは無理だ」と感じることが増えました。仕事もプライベートも同じ。でもそれは「諦め」ではなく、「工夫」と「調整」によって自分の可能性を広げていくチャンスだと思っています! コーンさんはソウルシンガーとしての”情熱”はそのままに、歌詞の深みや表現の幅を広げています。年齢と経験が音楽に深みを与えているのです。健康に気を配りながら自分のスタイルを貫く——そうした”持続可能な生き方”は、私たち患者にとっても大きなヒントになります。
2024年の復帰ツアーで、ブラザー・コーンさんとブラザー・トムさんは「LAST LIVE vol.1 〜じじいが街にやってくる!〜」という挑戦的なタイトルを掲げました。このタイトルを初めて見たとき、思わず吹き出してしまいました。でもそこには”覚悟”と”笑い”が同居する、彼ららしい強さを感じました。
「じじい」と自ら名乗ることで、年齢や病気を逆手に取り、むしろそれを武器に変えてしまう。こうしたスタンスは、私たちが抱きがちな「年を取ったから無理」「病気だからできない」という思い込みを、見事に打ち砕いてくれます。
私も透析歴20年を超えて、正直「若くはないな」と思うことがあります。でも、コーンさんのように年齢を笑い飛ばしながら前に進む姿を見ると、「自分もまだまだ挑戦していい」と思えるのです。”じじい”が街にやってくる。その姿を見て街の人々が笑い、元気をもらい、勇気づけられる。そんなエンターテイメントができる彼らは本当にカッコいい。そして私も、誰かに笑顔を届けられるような”じじい”を目指したいと思います。
ブラザー・コーンさんの歩んできた道のりは、透析患者である私にとって希望と勇気を与えてくれるものでした。腎不全、余命宣告、人工透析、そして妻からの腎臓提供による移植手術——そのすべてを経た上で、彼は再びステージに立ち、音楽を通じて命のメッセージを発信し続けています。
透析歴20年以上の私にとっても、彼の言葉や歌、そして生き様は日々の生活に力をくれる存在です。病気や年齢にとらわれることなく、自分らしく前を向く姿勢——それは患者だけでなく、多くの人にとって「人生の参考書」のようなものだと感じています。
もちろん、彼のように移植を受けられるケースばかりではありません。私も今のところ透析を続けていますし、それが自分に合った選択肢だと考えています。しかしそれでも、「可能性を知っておくこと」「選択肢があることを信じること」は、生きるうえで大切な支えになります。
病気を経験しても、人生は終わりではありません。むしろ、そこからが”自分らしく生きる”スタートラインなのだと、ブラザー・コーンさんは教えてくれました。私もまた、同じように前を向いて生きていきたいと思います。
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